男子

己の決断を尊べ

文学部2年  山木 柊

日頃よりお世話になっております。文学部2年の山木柊と申します。
寒さが一層厳しくなり、日によっての寒暖差も大きい今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。

突然ですが、皆さんはたられば話は好きですか?「あの時ああしていれば…」「あの時あっちを選んでいれば…」と後悔してしまいますよね。かくいう私も、この大学生活で決断と後悔の連続です。「違う専攻を選んでいればよかった」「この授業取らなければよかった」「なんで文学部を選んだんだ!」そんなことを考えていていました。何かを決断するということは、同時にもう片方の選択肢を捨てているということですから、100%後悔のない選択なんてありません。そんな後悔ばかり気にしていたとき、ふと高校時代の教師の言葉を思い出しました。

己の決断を尊べ

その人の授業で何度も何度も聞いた言葉。その教師の「言ってやったぜ」みたいなドヤ顔と一緒にこびりついて離れなかったこの言葉が、迷うことでいっぱいだった高校生活の記憶と共に私に語りかけてきました。

この言葉を初めて聴いたとき、斜に構えがちな年頃だった私は「自分の決断なんだからそりゃ尊いだろ」くらいにしか思っていませんでした。しかし、様々な苦悩・決断・後悔を繰り返した今、あの時よりはこの言葉の意味を理解できていると感じます。

この言葉はただ単に「後悔先に立たず」ということを言っているわけではありません。己の決断を尊ぶということは、正しい決断が何かを考えるのではなく、「あの時こうしてよかった」と思えるように、今を全力で生きることです。

私たちはこの前の入替戦に勝利し、一部残留を決めみんなで喜びを分かち合い、全日本インカレでは4年生との最後の試合に同じ涙を流しました。誰もが慶應バレー部にいて良かったと思った瞬間だったでしょう。この喜びは、もしあの時塾バレー部に入っていなかったら、あの時高校でもバレーを続ける選択をしていなかったら、あの時バレーを始めていなかったら、あの時慶應に入っていなかったら。一つでも違う決断をしていたら成し得なかったことです。全ての決断が結びついて「あの時こうしてよかった」選択になりました。

しかし、私は別に一部残留を決める瞬間のために慶應に入り、バレーを始め、高校でバレーを続け、この部に入ったわけではありません。今では全ての決断が正しかったと思いますが、決断が正しいかどうかなんて結果論に過ぎず、実を結ぶまで正しい選択なんてものは誰にもわからないのです。

実際にこれまで自分の選択は、悩み悩んだ末に思ったように行くことも行かないことも、思ったような形にならないこともうまく行くことも様々ありました。

これからも進学や就職など結果の見えない選択を何度も何度もするでしょう。どっちを選ぶのが正解なんだろうと苦悩を重ねることでしょう。先の見えない暗闇で、行く先はどこかと苦しむでしょう。しかし、用意された正解なんてありません。私たちにできることは自分がした決断を正解だったと思えるように努力することだけです。行く先はわからずとも、確実に、ゆとりとは逆の向きにひた走ることです。

そういった意味では決断の類義語は選択ではなく、覚悟なのかもしれません。

私も4年生になった時、この部にいて良かったと思えるよう、日々精進してまいります。

乱文失礼いたしました。

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