平素よりお世話になっております。商学部4年、アナリストを務めております、鍬塚凛と申します。
早いもので、(引退日誌を除き)私が書く最後の日誌になりました。
思い返せば、この活動日誌という場が私は大好きでした。先輩の日誌に感動しバイブルのように何度も何度も読み返すこともあれば、後輩の秘めた熱い想いに感化されることもありました。バレーボールそのものも好きですが、バレーボールに全てを懸ける人たちの内側にある哲学こそ私が最も面白く感じるものだったのかもしれません。
一方私の日誌はというと、「なぜバレー部にいるのか」を違う角度でひたすら4年間問い続けていました。大体いつも悩んでいたものだな、ネガティブなやつだなと思いつつ読み返すと、考え方にそれなりの成長を感じることもできました。
これまで拙い私の文を読み反応をくださった方々、ありがとうございました。
(頻繁に私たちの日誌を読み返信してくださっていた大昭さん(渡邊・25卒)の叔父様も、ありがとうございました。)
さて、関東一部リーグでの戦いも終盤に差し掛かっております。塾バレー部は現在勝ち星を挙げられておらず、正念場を迎えています。
実際、一部の上位チームと相対すると技術やパワーなどの差もありますが、そこは埋められないほどの差だとは感じていません。最も差を感じているのは、「勝負所でパフォーマンスを十全に発揮し勝ち切る力」です。
何が土壇場でチームを、選手を強くするのでしょうか。
私は「日頃のバレーボールとの向き合い方」だと思っています。
中でも「バレーボールを人生の中心に据えられているか」に他大との差を感じています。
東海大の追い上げには鬼気迫るものを感じましたし、彼らの人生の軸はきっとバレーボールで出来上がっているのでしょう。
もちろん強豪でもおちゃらけている選手は一定数いますが、試合になれば中高時代にひたすらバレーボールを追い続ける中で染みついた姿勢が表に出ます。関東一部の舞台で出場機会を勝ち取るほどの選手であればなおさらです。
自分からバレーボールを取ったら何も残らない、負けたら自分そのものが否定されるという恐怖をもって試合に臨むところに彼らの勝負強さがあるのではないでしょうか。
(自戒も含め)慶應はその自己が否定される恐怖から目を背ける空気が少なからずあるチームだと思います。
「バレーボールで負けても社会に出たら…」「学力で比べたら…」と、小さい頃から様々な面で勝ち続けてきたプライドを守るために、バレーボールで負けることによって湧き出す身を焼かれるような劣等感には蓋をする傾向があるのではないでしょうか。
これまでのキャリアと向き合い方は変えられませんが、これからのバレーボールとの向き合い方は変えられます。
バレーボールに命を懸けてこそ見えてくる圧倒的な勝利感、敗北感、そこから得られる学びこそ、バレーボールを続ける意味、体育会にいる意味になるのだと思います。
勝てるかどうかは最後まで分かりませんが、恐怖から逃げず、全てを懸けた上での勝利・敗北でなければ意味がないですし、時間がもったいないです。私たちの4年間はそんなに安くありません。
残り3戦、全てベットして勝ちましょう。