男子

4年生への感謝(芳賀祐介の場合)

環境情報学部3年  芳賀 祐介

日頃よりお世話になっております。環境情報学部2年の芳賀祐介です。

街はクリスマスの飾りつけ一色となってまいりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。塾バレー部では体調不良者が急増しておりましたが持ち直して、年内残りわずかとなった練習で成長しております。

さて、今回私がお話しさせていただく内容は4年生への感謝です。最近、同じような内容の活動日誌が多いように感じられますが、4年生の皆様にとてもお世話になった私なりの2年間の感謝を述べさせていただきますのでお許しください。

藤田先輩は、後輩たちの心の拠り所であったあたたかい先輩でした。
藤田先輩がいる場所にはたくさんの後輩が集まり、大きな輪を作っていました。私がプレイヤーとしてなにかアドバイスが欲しい場面では藤田先輩に質問をして、アナリストとしての的確な意見をいただいた事は一度や二度の事ではありません。また、現在のチームの状況を客観的に理解してどうすればもっと上を目指していけるのかと常に考えて実行していました。
藤田先輩はOfficial髭男dism の特にミックスナッツという曲がカラオケの十八番だそうですので、ぜひ拝聴したいと考えております。

樋口先輩は、頼りになるリベロ兼コーチです。
樋口先輩のリベロの能力の高さは春リーグの戦いを観れば、もはや火を見るよりも明らかです。私も何度もレシーブ練習の時、「面を組めヨォッ!!」という金言をいただき、今では床に就くと8割くらいの確率でその夢と音声が頭に流れております。まだまだ私のレシーブの面は未熟ですので、あと2年ほどかけてじっくりと治療していきます。
私がコーチと例えたのは、樋口先輩の他人への気づきやアドバイスの質の高さにあります。樋口先輩のアドバイスを受けてプレーの質が向上した後輩は後を絶たないのではないでしょうか。ぜひ、社会人になっても疾風迅雷の如く活躍していただきたいと考えております。

下田先輩は、最もプレイヤーとして私に身近であった存在です。
後述させていただく降先輩も下田先輩同様に、ミドルブロッカーとして目標となるプレイヤー像でしたが、降先輩はどちらかというと偉大なゴールに近く、下田先輩はなんでも相談できる親身な存在でした。失礼に当たってしまうかもしれませんが、私にとって下田先輩はミドルブロッカーとして友達のような存在であり、苦しい練習や辛い練習の時もお互い共感し合って乗り越えてきました。
4年生の最後の大会となる全日本インカレ敗戦後、私は下田先輩の来年への激励の言葉をいただいた時に涙を流してしまいました。それは自分への情けなさと同じくらいの申し訳なさが理由でした。
下田先輩は同じポジションという事で、私がベンチ入りやスタメン獲得を果たした事でベンチ外やベンチ待機となってしまう事が多くありました。よく星谷監督は、活躍できるから試合に出れるという言葉を使われます。今でこそ、自分が活躍してチームを勝たせたいという前向きな気持ちで試合に臨めていますが、1年生から2年生の前半の当時の私にはそんな自信を持てるはずがありませんでした。なぜ自分が選ばれているのだろうとネガティブな気持ちになってしまった事も多々ありましたが、その度に下田先輩が変わらず明るく接してくれている事に元気を貰い、日々の練習を頑張っていました。
少し暗い話となってしまいましたが、下田先輩との思い出は楽しいことばかりです。脂質摂取遊戯王をしたり、兵庫にビーチバレーボールの応援にも行きました。私の理想のミドルとしての先輩の姿は、降先輩のように高い目標として存在しつつも、下田先輩のように親身な姿勢である事です。日吉自動車学校では私の方が先輩であるため、この恩を返すべくなにかあればお手伝いさせていただきます。

安達先輩は、歳が二つ上の大きい友達のような存在です。
4年生の中では唯一のAOでの入学という事もあり、入部当初から仲良くさせていただきました。初めは安達さんと呼べばいいのか龍一さんと呼べばいいのか迷っていたのに、最終的にはわしさん呼びに定着しました。
塾バレー部に入るまで全国を目指すようなチームではなかった事や身長が大きい点で、安達先輩は私と境遇が似ています。安達先輩は身長が大きい事が必ずしも有利に働くとは言えないアウトサイドヒッターのポジションを最後まで貫き通しました。おそらく私が想像のつかないような壮絶な努力をしたからこそ、関東一部リーグや早慶戦での大活躍があったのでしょう。後輩と分け隔てなく親友のような関係性を築きつつ、一度コートに入れば圧巻のプレーで塾バレー部を勝利に導く、体育会のお手本のような人です。
まだ離島出身の訛りが抜けないのか、クイックペイの事を「くいっくぺ↑い↓で。」と言って店員さんを困らせてしまうのはいただけませんので、一緒に練習しましょう。協力します。

降先輩は、私の今までのバレーボール人生を語る上で必要不可欠な存在です。
中学、高校と全国を目指すようなレベルではバレーボールができずに、リードブロックのリの字も知らなかった私をなんとか使い物にはなるように必死に教えてくださりました。ミドルブロッカーとしての価値観の理解やオフボールでの動きは特にまだまだ私に足りない部分であり、大切な文化として私が絶やしてはいけないという使命感を持って練習に取り組んで参ります。私が本格的に試合にスタメンとして出場する事ができたのは私が1年生の時の秋リーグの後半、亜細亜大学戦からであると記憶しておりますが、その試合からほとんど欠かさずに降小雨という男と対角を組んで出場できたのは私の何よりの財産です。欲を言うならば、中止となってしまった1年生の時の春リーグから経験を積ませていただき、もっとたくさんの事を学びたかったというのは本音ですが、今はもう叶いません。

高倉先輩は、努力を怠らなかった真面目なプレイヤーの完成系です。
私が入部した当初は少し気難しい先輩なのかなという印象でしたが、いざ2年間を終えてみればプライベートで最も遊んだのは高倉先輩でした。主将として練習に真摯に取り組む姿勢は、後輩達にどんな言葉やプレーよりも大切な事を教えています。
前述したように私が初めてスタメン起用していただいたのが亜細亜大学戦でしたが、その試合で高倉先輩には大変ご迷惑をおかけしましたので、ここで謝罪させていただきます。当時の秋リーグでは変則的に、優勝したチームが関東一部リーグに自動昇格し、逆を言えば一敗でもすれば二部残留が決定してしまいます。そんな緊張感が漂うリーグ戦において、亜細亜大学戦はリーグを通して初めて1セット目を落としてしまった試合でした。気持ちを切り替えて挑んだ2セット目に1ラリー目、1本目のクイックを私がコートの遥か彼方に打ってアウトにしてしまった時の高倉先輩の絶望した顔は今でも忘れられません。試合はその後、塾バレー部の底力と初スタメンであった私のビギナーズラック?のような少しばかりの活躍で無事勝利しました。おそらく高倉先輩は私のミスに激怒したいところでしたが、少し活躍した初出場の後輩を大目に見る優しさで、「よく頑張ったね」と優しいお言葉をいただきました。高倉先輩が引退するまでには謝りたいと考えておりましたが、なかなか言い出せなかったのでこの場をお借りして謝罪させていただきました。

4年生の皆さんは、よく自分達の代を、足りない部分を補い合って来たと表現されます。しかし、私にとってみればそれは間違いです。皆さんが引退してから、いかに1人1人が自立した存在であったか、いかに1人1人を4年生として尊敬できる人であったかを再認識させられました。
私も塾バレー部に入部して早2年が過ぎ、括りで言うと上級生となりました。小出先輩の代、高倉先輩の代には素晴らしい4年生しかおらず、私もいつかそこに名を連ねたいと感じております。
来たる新年、成長した姿で皆様にお会いできるよう日々精進して参ります。

年末ご多忙の折ではございますが、お身体にお気をつけて良き新年をお迎えください。乱文失礼いたしました。

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