男子

一人では見ることのできない景色

経済学部卒業生  厳 欣怡

平素よりお世話になっております。
本年度渉外主務を務めました、経済学部4年の厳欣怡です。

ご承知の通り、12月12日(火)に行われた納会をもって、チーム島田からチーム渡邊にバトンが渡り私たち4年生は引退となりました。

実は高校生の頃から4年生のラストブログを読むのが好きで、この時期は各部活のものを読み漁っていたのですが、気づいたら自分が最後の活動日誌を書く番になっていました。

私は自分の話をするのが苦手で口下手ですが、せっかくの機会なので「慶應バレー部」での12年間を振り返りたいと思います。かなりの長文になりますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。

私がバレーボールを始めたのは小学5年生の時です。出身の慶應義塾幼稚舎では、小学5年次から週に1回練習が行われるクラブ活動というものに参加することができ、とにかく球技がやりたかった私はバスケ部とバレー部で迷っていました。入部届を提出する直前まで迷いに迷って、最後に選んだのはバレーボール。「バスケよりバレーのほうが突き指しなさそうだから」という、今思うと本当にふざけた理由ですが、それが当時の私が大真面目に考えて出した答えでした。そんなこんなで私は富澤大先輩(2019卒)を輩出した幼稚舎バレー部に入り、今はもう定年退職されましたが、当時はバリバリの現役だった前田十一郎先生のもと練習に励みながら、日に日にバレーボールに夢中になっていきました。いわゆる「小バレ」と比べたらレベルも練習量もかなり違いますが、それでもバレーボールという競技そのものの楽しさを、私は前田先生、そして幼稚舎バレー部から教わりました。

幼稚舎卒業後、私は慶應義塾中等部に進学し、迷いなくバレー部に入部しました。校内一厳しいと言われていた中等部バレー部での3年間は、楽しい思い出よりも辛い思い出の方が圧倒的に多かったです。しかし、そこでの経験を経て染みついた「苦しいことから決して目を背けず、真正面から向き合う」という価値観は、今の私の土台になっていると感じます。また、「一生懸命やることの楽しさ」もそこで知ることができました。たくさんご迷惑をおかけしたかと思いますが、ご指導くださった杤堀先生、高柳先生、秋葉先生、本当にありがとうございました。

そしてもう1名、感謝してもしきれない人がいます。当時、中等部コーチをされていた吉村達比古さん(2018卒)です。人生の夏休みとも称される貴重な大学4年間を、生意気な中学生たちに捧げてくれました。大学生になった今、改めて吉村さんの偉大さを思い知っています。週4回の練習に加えて、休みの日も生徒一人一人と面談するために学校に来てくださったり、夜遅くまでチームのことを考えてくださったりと、中学生相手に本気で向き合ってくれたこと、心から感謝しています。私は当時から涙脆く何かあるとすぐに泣いていたのでたくさん困らせたかと思います。大変お世話になりました。

その後進学した慶應義塾女子高等学校でもバレー部に入りましたが、そこは何よりも生徒の自主性を重んじており、練習メニューの考案からチーム運営まで、全て生徒だけで担っていました。時にはコーチの方々に頼りながらも、同期たちと一緒に「強いチームを作るためにはどうすればいいのか」について議論を重ね試行錯誤した毎日は上手くいかないことも多かったけれど、思慮の浅かった私を何倍も成長させてくれました。またプレーについてもたくさん動画を見て、自分たちで戦略を考えました。バレーボールの奥深さを知れば知るほど、もっと高いレベルでやってみたいという思いが強くなり、部活引退後は暇さえあれば大学や代表カテゴリの試合会場に足を運びました。

そんな中、私は塾バレー部の門を叩くきっかけとなった試合を観戦することになります。それは2019年秋の入替戦です。相手は専修大学で、2セット先取したのちに3セットを連取され逆転負け。結果だけを見れば残念ではありますが、私は結果よりも劣勢でも諦めずに最後までボールを追いかけ続けたり、一点一点を全力で喜ぶ選手たちの姿に心を動かされ活力をもらいました。そして「次はこのチームの一員として勝利に貢献したい」と心に決めたことを今でも覚えています。

大学1年生の春、コロナ禍真っ只中に私は選手ではなくアナリストとして、塾バレー部に入部しました。夢だったレベルの高いバレーボールに携わっているのが幸せで、最初は分からないことだらけで苦労もしましたが、それでも楽しくやっていました。

しかし入部してから4ヶ月後、私に転機が訪れます。宗雲前監督から渉外への転向を打診されたのです。同期にはもう一人アナリストがいるし、チーム状況を考えると承諾することが正解なんだろうなと思った私は転向を決意しました。正直、この時の感情は自己犠牲に近かったと思います。

転向してからの日々はとにかく必死でした。「やりたかったこと」ではないことをやっている虚しさと、はるなさん(井出口・2021卒)と真帆さん(髙橋・2022卒)の背中をみて渉外という役職の重要さを知ったからこその焦り。自分の理想と役割の大きさの乖離は想像以上に苦しくて、1年目はとにかく仕事を覚えながらやりがいを模索し続けました。

そんな私に「渉外のやりがい」を教えてくれたのは、やっぱりはるなさんと真帆さんのお二人でした。

コロナ禍で行われた一年次の早慶戦において、はるなさんはその熱意で周りを巻き込みいくつもの困難を乗り越えて、プロの方々によるライブ配信を成功させました。その姿は本当にかっこよかったし、はるなさんの「届けたい」という強い思いに触れて、私自身がこのチームに心を動かされ活力をもらった日のことを思い出しました。そして「このチームを一人でも多くの人に知ってほしい」という思いが芽生えたきっかけとなりました。

真帆さんからは渉外として大切なことを学びました。真帆さんのチームに関わるすべての方々に丁寧に接する姿をみて、これが応援されるチームにとって一番必要なことでありそれが渉外の役割なんだと気付かされました。応援してくれる人を一人でも多く増やすこと。これはその後の私のテーマにもなりました。

しかしこれらの気づきを経て絶対的なモチベーションを持って迎えたと思っていた3年目、無意識に避け続けていた大きな壁にぶち当たることになります。

2022年春、二部降格。
私はチームのために何もできなかったんだなという悔しさから涙が溢れそうになったのを、勝利のために死力を尽くしてくれた選手・アナリストたちの前で泣く資格なんてないと思い必死に堪えていたことを覚えています。

「試合の勝敗に直接責任を持つことはできない」

この時ほどこの言葉に押し潰れそうになったことはありません。渉外のやりがいは見つけたけど、それが本当にチームの勝利に繋がっているのかわからないし、試合が始まればただ声援を送ることしかできない自分の無力さに絶望しました。入替戦後の同期ミーティングで素直にこのことを打ち明けた際、航希(島田・経4)が「俺は試合中、ベンチとか観客とか結構周りを見るタイプだけど、げんちゃんが最後まで祈ってくれて応援してくれてたことも知ってるし俺にとってすごい力になってるからそう思わなくていい」と言ってくれました。当時心が折れかけていた私にとって、この言葉は本当に嬉しかったし、助けられました。本当にありがとう。

そこから私は、入替戦での敗戦を受け士気が完全に下がり切っていたチーム状況の中、渉外として今自分ができることは何かを考え直しました。その答えの一つが「早慶戦で最高の舞台を作って、チームに自信と誇りを取り戻させること」でした。

2022年7月、コロナ禍以降初めて行われた完全有観客の早慶戦。集客には特段力を入れました。誰だって「頑張れ!」と声をかけてもらえるのは嬉しいし、その母数が多ければ多いほど選手たちの背中を押すことができる、そう信じていたからです。多くの方のお力添えのおかげで、この年の早慶戦には3000人以上の観客が集まり、選手たちも最高のパフォーマンスを発揮してくれました。大歓声の中で活き活きと、そして堂々とプレーをする選手たちの姿を見て、自分が信じてやってきたことは間違っていなかったんだと自信になりました。この時の景色は、一生忘れません。

自信を持って迎えたラストイヤー。とにかく挑戦の毎日でした。一つのことにこんなにも熱意を持って打ち込めることってきっともうないだろう。後悔なく、全部やり切ろう。そんな思いで駆け抜けました。早慶戦運営や広報をはじめ、周りに助けてもらいながら自分の夢を全部叶えることができました。

迷ったらとにかく行動してみる。たとえ失敗したとしてもそれは必ず次に繋がる糧になる。たくさんの方にご指導をいただいた私が辿り着いた答えです。後輩たちにはどんどん挑戦してほしいです。

この4年間、人見知りでフレンドリーな性格でもない私は渉外に向いてないんだなと悩んだり、渉外の先輩方と自分を比べて自信を無くす日もありました。それでも、渉外として卒業生や保護者をはじめとしたチームを応援してくださっている方々の一番近くにいられたことは、本当に幸せなことでした。

今の自分なら胸を張って言えます。
渉外でよかったと。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。最後になりますが、お世話になった方々への感謝の言葉を述べて終わりたいと思います。

三田バレーボールクラブの皆さん、星谷監督
4年間、大変お世話になりました。右も左も分からなかった私に対して、丁寧にご指導くださりありがとうございました。おかげさまで自分の成長を感じることができました。これからは一卒業生として、部に恩返ししていきたいと思います。

保護者の皆さん
先日のメーリスで伝えたいことを記させていただきましたが、改めて、いつも私たちの一番の味方になってくださりありがとうございました。皆さんのご声援は本当に心強かったです。これからも塾バレー部への応援のほどよろしくお願いいたします!

渉外の先輩方
はるなさん、真帆さん
入部当初、敬語もままならない・ミスも多い私に根気強く教えてくださりありがとうございました。お二人の渉外という役職に誇りを持って仕事に励んでいた姿は本当にかっこよかったです。

恭子さん(綿田・1987卒)、枝里子さん(星谷・2014卒)
困難に遭った時、いつも手を差し伸べてくださったお二人には何度も助けられました。本当にありがとうございました。次は私も恭子さん、枝里子さんのように後輩の背中を押してあげられる先輩になれるよう、頑張ります!

後輩たち
皆の楽しそうにバレーをしている姿が私の原動力でした。己の弱さと向き合うのって想像以上に辛いことだと思うし、それを逃げずに毎日やり続けている皆は本当に凄い。皆が日に日に成長する姿を、我が子を見守るような気持ちで見ていました。生意気だけど可愛くて可愛くて仕方がなかったです。ずっと応援してます。

歩奈(河村・経2)
責任感が強くてしっかり者の歩奈には、この2年間幾度なく助けられました。私と同じでアナリストから渉外に転向してくれたから、最初は正直やりがいを感じてくれているか不安だったけど、チームの為に自主的に行動してくれるようになった姿を見て、「もう大丈夫だな」とホッとした事を覚えています。これからは一人で抱え込みすぎず、周りを頼りながら自分の夢を叶えていってね。いつでも連絡待ってます!

同期
八人八色で個性豊かすぎる同期の皆。それでも4年間、全員が自分の信念を持って部活動に取り組み、多方面でチームを押し上げてくれたと感じます。本当に自慢の同期です。全員が優しすぎるが故に上手くいかないことも多かったけど、その優しさに何度も救われたのも事実です。この八人だったから最後まで頑張ろうと思えた。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう。

決して1人では見ることのできない景色を、体育会バレー部での4年間も含め、慶應バレー部で過ごした12年間を通してたくさん見ることができました。ここでの経験は私にとってかけがえのない宝物です。本当にありがとうございました。

“一人では見ることのできない景色” への1件のコメント

  1. 大昭叔父 より:

    厳さん、お疲れ様でした。”迷ったら先ず行動してみる„素晴らしい考え方だと思います。そして、私からは次の言葉を送らせていただきます。”人生は強くなくては生きていけない。しかし、優しくなくては生きていく資格は無い„頑張り過ぎないで頑張ってください‼️

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