日頃よりお世話になっております。商学部一年野口真幸です。
私は今回、「自己犠牲の精神」について書かせていだたきたいと思います。自己犠牲の精神というのは、私がバレーボールをする上で一番大切にしている考えです。
私は小学四年から今に至るまでの十年間バレーボールをしてきました。この十年間の中でも特に、中学の三年間は私のバレーボール人生において沢山の学びを得ることができた年です。この三年間で、私のバレーボールの基礎となる自己犠牲の精神を確立しました。
「自分の体はどうでもいいからボールだけは上げろ」
私は中学二年時からリベロとして試合に出場していたのですが、この言葉は当時の監督に耳にたこができるほど言われた言葉です。リベロはスパイクを打つことが出来ないので、試合に出て活躍するためにはとにかくレシーブを上げ続けるしかありません。私は下級生ながら試合に出場していたため、先輩に迷惑はかけられないという思いや自分がリベロとして活躍しなければならないという思いから、レシーブ練習には特に情熱を持って打ち込みました。仲間が弾いたボールを最後まで追いかけて、どんな形であろうとフォローする。相手のフェイントに対してフライングで床とボールの間に手を滑り込ませる。私はただひたすらがむしゃらにボールを追いかけ続けました。
このような環境の中で、私はバレーボールという競技について何度か考えることがありました。バレーボールはボールが浮いている間はプレーが続き、ボールが床に落ちるとプレーが止まります。実はこれが非常にシンプルで、スパイクを全て決めれば勝てるし逆にボールを全て落とさなければ負けることはありません。これらは極論なのですが、私はバレーボールの根本はこれだと考えています。
このことに気づいてからは、先ほど述べた監督の言葉がより深く理解できるようになりました。フライングしたら手の皮が剥けて痛い、床に体を打ってあざができるなど、本当に試合で勝ちたいならばそんなことを言っている暇などありません。自分のことなど気にせず、ただひたむきにボールを上げ続ける。これこそが自己犠牲なのです。
私の体には腰回りや膝などにたくさんのあざがありますが、これはレシーブ練習や試合によってできたものです。アホらしい話ですが私はこれが努力の勲章であり、自己犠牲の賜物だと思っています。
ここまで長々と私の自己犠牲の精神についてのルーツについてお話しさせていただきましたが、私はこの精神を日常生活でも意識しています。
少しズレているかもしれませんが、嫌なことを自分から率先して行うことはいつか自分にいいように帰ってくると思って生活しています。これも自己犠牲の一つであり、自分の人生において大切なことです。
最後になりますが、私はこれからも泥臭く自分らしいプレーでチームの大切なピースになれるように自己犠牲を続けていきます。
今後ともご支援の程、どうぞよろしくお願いいたします。