日頃よりお世話になっております。
今年度副将を務めさせていただきました、看護医療学部4年の中村日南です。
先日の12/16の納会をもちまして、慶應義塾体育会女子バレーボール部を引退させていただきました。4年前にはまさか自分が納会を迎えることができるとは思っておりませんでしたので、ペナントを見てこれまでの体育会でのバレーボール人生をしみじみと思い出しました。
今回がラストブログであるということで、拙い文章ではありますが、私の4年間ないしは14年間のバレーボール人生を振り返らせていだければと思っております。
大変長くまとまりのない文章ではありますが、どうぞ最後までお付き合い頂ければ幸いです。
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「うわーかっこいいな、やっぱりそっちに行きたい」
1年の夏、早稲田アリーナの客席で早慶戦を観ていた私の目には、選手たちが、点を取る姿に心が昂り、まるでヒーローのように見えました。
体育会に入りたい、と決めてからは勉強との両立のことも、それ以外の生活のことも一旦全部そっちのけ。ただ「入りたい」という気持ちでいっぱいでした。現実はそんなに甘くはなく、入部時には、公式戦に出ることは難しいかもしれない、と言われ、チーム初日から大泣きしたのを覚えています。看護医療学部で身近な知り合いや先輩に体育会に所属している方がいないということもあり、無謀とも思える挑戦でした。
そんな不安とは裏腹に私の大学生活はすぐにバレーボールで埋め尽くされていきました。
写真アプリを開くと、ディズニーかどこかに遊びに行った写真たちから一変し、記念館で撮った自主練や練習の動画で埋め尽くされ、携帯の容量と戦いながらなんとか記録しておりました。ただボールを追いかけているだけで、楽しい、そんな生活でした。
2年生になって迎えた初めての公式戦。先輩の怪我があり、代わりとしてチャンスをいただいたにも拘らず、ブロックにはかかりまくりミスを連発。メンタルがブレブレで心ここにあらずの状態でした。試合ではただバレーボールが楽しいだけでは勝てない。楽しむためにはもっともっと「強さ」が必要なんだ。私はその時とてつもなく大きな壁に当たりました。
上手くなりたい、跳びたい、もっと自分の思うように身体を動かしたい、負けたくない、でもきついのはちょっとやだなあ。
そんな甘い考えを少し持ちながら、週に1回は腫れぼったい眼で練習に参加し、「無理だできない」「どうしたらいいか分からない」と何度も先輩や同期、家族に話を聞いてもらいました。ちょっと頑張ったからって、今までずっと本気で頑張ってきた人には追いつくはずがない。自分の甘えと不甲斐なさを実感しました。
2年の冬に始まった転機のTeam 2024。
優しさと明るさとパッションと冷静さ、全てを兼ね揃えていた先輩方は、私を導いてくれました。身体的・技術的にも、人間的にも、プレイヤーとしても成長を感じたとても密度の濃い期間でした。誰もサボらないし、サボらせない。綺麗な言葉で隠さない。その環境は私を強くしてくれました。
まるで同期かのように話をしたり、関わってくださったそのオープンさ、でも真の弱音を吐かない芯の強さを先輩方から学びました。酸いも甘いも共に、そして一番近くで経験してきたと自負しております。やはり春秋の日本ウェルネスとの試合での勝利、一方で秋の明学との試合での敗戦の印象が強く、それに勝てていれば3部昇格をしていたという事実と、いつも通り力を発揮できていたら勝てた試合であるというどうにもならない悔しさ、申し訳なさと、自分のメンタルの弱さがまだ出てくるのかともう嫌になりそうでした。明学戦での敗戦後、丸谷さんから言っていただいた言葉は引退までずっと心に刺さっていました。
「表情・雰囲気も含めて実力だから」と。
最後の引退試合である慶関戦、その2週間前に捻挫しほぼ骨折状態になっている私を最後コートに入れるという選択をしてくださって本当にありがとうございました。宝物がたくさん見つかった1年でした。
そして始まったバレーボール人生最後の1年。
私は、今までの先輩のようになれるだろうか。後輩たちと話せるだろうか。副将として何ができるのだろうか。
統率力を持って自らを律しながらチームを先導する主将の倉員(商4)とバレーに対して常に貪欲で主務とエースという2つの大仕事を担う西村(商4)と肩を並べて私は何ができるのか。私はただ等身大の自分で皆と向き合うしかない、そう思いました。
倉員が先日のラストブログで書いていたように、私にも自分に対して課していたテーマが2つあります。
「自らの選択を尊べ」
「自分を誇りに思える自分になる」
私の弱さの根源を払拭するために、そして本気で皆と向き合うための土台となる言葉でした。1つ目は、SFC時代の先生からいただいたもので、私はこの「尊ぶ」という言葉に対して、自分の決めたことを「言い訳しない」「人に委ねない」「自分の選択を正解にする」と解釈し、1つひとつの言動やかける言葉に対して自分で責任を持つことを常に意識していました。自分の言動が誰かに影響を与えていないか、後輩から見て、自分がそう見えていたように、目指したいと思える人になれているのか、自分の練習ばかりになっていないか、皆に向き合えているのか。
私は多分真剣になりすぎました。だから日南家(縦割り班)の後輩たちとの月1の個人面談は毎回1人30分くらいはかかっていたね、中には1時間以上話した子もいたね、長くてごめんね。笑 他に相談してくれた後輩たちとも多分1回に30分以上は話してきたと思う。笑
皆には申し訳なかったなと思うけど、私なりの向き合い方でした。
3部昇格を決めた時は嬉しいという感情はもちろん、昇格するという約束を達成し、今までの先輩たちが築き上げてくれたこの歴史に、しっかりと結果を残すことができた、という安堵がとても大きかったのを覚えています。同時にここからは楽しめる試合になりそう、そう思っていました。
しかし最後に迎えた秋リーグ、やはりそんな簡単にセットを取り、残留できる甘いところではありませんでした。負け続きでリーグ折り返しの時点で圧倒的最下位。ここで4部に落として次の代に引き渡すことだけは絶対にさせない。
初心に戻って、バレーボールを続けてきたのはなぜか、何のために今まで頑張ってきたのか、もう2つも3つもギアを上げられるのではないか。スターティングメンバーで、最後の喝を入れました。ウェルネス戦、白鷗戦と勝ち進み、獨協にもばっちりと対策をされながらも勝利を挙げ3部残留を死守しました。
最終戦はvs群馬。正直最後の試合まで自分の弱さが見え隠れしてしまい全部を出し切れたかと言われるとそうとは言えず、最終セットまでもつれ込み敗戦いたしました。でも本当に楽しくて、自分ではなくても誰かが1点取った時にぐわぁっと泣きそうなくらい心から込み上げてくる感情がとても心地よく、このためにバレーボールをやってたんだ、この感覚が好きだったんだと気付き、試合を終えました。
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小学バレーの時、最後の大会前に6年生同士で「本音カード」を交換したことがあります。その人の試合中の良いところと直してほしいことを匿名で書くもので、当時10人でそれらを書いてお互いに渡しました。私の直してほしいところにはほぼ全員共通して、
「ミスしたらヘコむところ」
「ときどきサボる」
「すぐ弱気になる」
と書かれていました。まさにその通りです。正直今も何も変わっていません。笑
ただ、小学生の自分とは違うのは、今まで経験し積み重ねてきた悔しいという気持ちと、費やしてきた時間や辛いトレーニングが糧となり自信となっていたということ、そして何より1プレイヤーとしてミスも含めて受け止め、信じてくれる仲間が周りにこんなにもいたことが私を後押しし、昔よりも徐々に大きなプレッシャーに耐えられるようになったのではないかと思います。等身大のまま、力をつけて苦手なことを少しずつ少しずつカバーできるようになりました。
1年生、2年生、3年生
これからまだ本気でバレーボールをするチャンスがある皆には覚えていてほしい。
挑戦し、失敗し、挫折して、でもまた立ち上がった先に見える景色は絶対違う。
自分に自分で嘘をついて、大丈夫だろうと、弱いところに蓋をして後回しにしてるとツケが回ってくる。弱音を吐いてもいいけど、吐く代わりに辛いことも逃げずに向き合って、やり抜いてほしい。そして最後には仲間を信じて、そして自分を信じてほしい。
何よりあの、ぐわぁってくる、皆の心が通い、震えるあの瞬間を皆で味わって欲しい。
負けたら本気で泣いてて、勝った時も泣いてて、コートの中で、外で、上から声が枯れるくらい応援して、一緒に戦ってくれた後輩たちみんなには、ずっと救われて、支えられてきました。
「日南さんならできます!」「日南さんは強いです!」
後輩にまで言わせてしまったけどこんな言葉1つで超元気になってたし本当に力になってました。かなり単純な人です。
4年生に対して、色々思うことももちろんあったと思うけど、そんな顔は見せず最後まで一緒に戦い抜いてくれて本当にありがとう。楽しそうにBGをしていたり、ボールと戯れている皆を見ているのが私の癒しでした。
松尾監督・丸谷さん・本多さん
見ててもどかしい気持ちもあったかと思います。それでも普段から根気強く指導してくださり、試合ではベンチからかけてくださる声と、表情で試合中何度も立ち上がることができました。いらっしゃらない日もついベンチに目を向けていました。ありがとうございました。
宮本さん
宮本さんのトレーニングがなければ私はこんなに楽しいバレーを経験できませんでした。トレーニングがこんなにもプレーに結びつくことを、誰よりも実感したと思います。月1回で私たちの本質を見抜き指導してくださりありがとうございました。
未羽と美葵へ
詳しいことはもうすでに渡して伝えたつもりです。
途中から入ってきた私を、暖かく受け入れてくれて本当にありがとう。文字通り喜怒哀楽を全て共にして、向き合ってくれて、戦ってくれて、隣を歩いてくれて本当にありがとう。2人がいたから強く、優しくなれた。2人とのバレーボールが最高に楽しかった。
未羽と美葵と同期でいてくれて本当に良かった。
2人を心から尊敬しています。
家族へ・おじいちゃんおばあちゃんへ
看護と体育会という無謀な生活を乗り越えられたのは家族の協力が絶対に不可欠でした。
2拠点で生活しどちらも家に帰ったら用意してくれているご飯も、寝る場所も、練習後日付が超えそうな時間に帰っても起きて待っててくれていることも、今日はどうだった?と毎回のように聞いてくれることも、試合から帰ってきたらほぼ毎回家族で鑑賞会になってることも、最後のリーグはほぼ毎試合父か母のどちらかが片道約3時間半運転して、観にきてくれていたことも、全く当たり前の環境ではありません。大学に入ってから余計に手のかかる子だったと思います。妹2人も一緒に動画見てくれて、たまに人生相談に乗ってくれたね。ありがとう。
私の選んだ選択は全く間違っていませんでした。
幸せで、大切な14年間でした。
「為せば成る」
達成できたのではないかなと思います。同じ座右の銘として、ぜひ成してね。
本当にありがとうございました。
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