男子

バレーボールは究極のチームスポーツ

文学部1年  玉島 弘之

日頃よりお世話になっております。
文学部1年の玉島弘之と申します。

近頃は涼しい風が吹き、銀杏の香りのする日吉キャンパスを歩きながら少し遅い秋の訪れを感じる日々を過ごしております。寒暖差のある日々が続いておりますので、どうぞお体には十分ご自愛ください。

題意にある「バレーボールは究極のチームスポーツ」という言葉はバレーボールの指導者である私の父がいつも口に出している言葉で、私が心に留めている教訓のようなものです。ここまでの秋季リーグ戦8戦を戦い、チームで勝つことを体現しようとしていく中で、究極のチームになるために私はどうしたらよいのだろうかと考える機会が増えました。今回はそのことについて、私なりの気づきを書かせていただきます。

その気づきは主にニつあります。一つ目は、「自分のプレーだけでなく、仲間のプレーにより一層関心を持つこと」です。それはつまり、ボール拾いをしている時間やメニューの出番が来るのを待っている時間などに仲間のプレーを観察するということになります。仲間のプレーの中には、自分が成長するためのヒントやコツがあふれています。たとえば、ジャンプサーブという一つのプレーをとってみても、トスの高さやスイング、トスをあげる手、打つまでのリズムなどたくさんの参考にできる部分があります。あなたの身近なライバルからも得るものがあるかもしれません。また、仲間からのアドバイスは自分では気づくことができない観点が含まれていることがあります。その視点をプレースタイルに組み込んでみて、うまくいくこともうまくいかないこともあるでしょう。しかし、その過程こそが成長のカギとなり、信頼関係の構築にもつながると考えております。

二つ目は、「役割の当事者意識」です。突然ですが、チーム内での自分の役割って何だろうか、そんな風に考えてみたことはあるでしょうか。主将や主務といったようなチームの幹部的役割、もしくはタイマーを設定する係や部に必要なものを調達する係などが思い浮かぶかもしれません。しかし、私はこれらの役割は当事者意識が自然と生まれてくる、いわば「目に見える役割」だと考えております。なぜならこういった役割は、その当人に責任が伴い、その当人がやらなければ円滑に活動が進まないからです。

では、反対に「目に見えない役割」とは何なのか。私はこの目に見えない役割を果たすことこそが重要であり、そこには2つの役割があると考えております。

一つ目は、“小さな集団内での役割”です。たとえば、1学年の仕事が遅れたとき、誰が原因かなどを考えるのではなく、どれだけ自分事として改善しようと捉えられるか、一人ひとりがどれだけ練習を盛り上げられるか。多人数の集団で果たす役割というのは、言ってしまえば何人か働かない人がいても成り立ってしまいがちで、明確に個人に役割が与えられているわけではありません。ですが、どんな仕事も目標も同じ志を持つ同志がいれば格段に早く、完成度高く達成できると私は信じております。

二つ目は、“見つけ出した役割”です。これはまさに自分がチームに貢献するにはどうしたらよいか考え、それを実行することです。これはどんな些細なことでもよいと考えております。大きな声が出せる事が長所なら、プレー中に周りを盛り上げる声を発し、味方を援護する指示の声を出してみたり。プレーする機会が現在少ないのならば、外から見た新鮮な意見を仲間と共有してみたり。そういった自発的に自らの役割を見出し、少しでもチームに貢献しようと努める姿勢が積み重なって、一体感が生まれてくるのだと思います。

最後にはなりますが、塾バレー部は残りのリーグ戦で全勝することを目標に戦ってまいります。背水の陣で、以前よりも一丸となった塾バレー部をお見せいたします。
今後とも熱い応援のほど、よろしくお願いいたします。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは、失礼します。

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