女子

矢野菜奈バレー部物語

卒業生  矢野 菜奈

気がつけばクリスマスを過ぎ、激動だった2020年もいよいよ終わりを迎えようとしています。皆様におかれましてはいいかがお過ごしでしょうか。先日22日に納会を経て正式に部を引退致しました、法学部政治学科4年の矢野菜奈です。

今年はコロナウイルスの影響を踏まえて、早慶戦に引き続き納会も男女別開催となりました。何をするにも簡単にはいかないこの情勢の中、4年生のために、とご尽力下さった全ての関係者の方には心から感謝申し上げます。
納会ではペナントと、後輩の手作りのアルバムを頂きました。アルバムの手紙を読むうちに自然と涙が溢れそうになりました。

ラストブログ、何を書こうかなとだいぶ悩みましたが、これから頑張っていく後輩に向けて私だからこそ伝えられるメッセージを残そうと思います。

私たちの代はたった2人という、史上稀に見る少なさでした。

相方の友成は、非常に卓越したバックグラウンドを持つ選手で、私がバレー部に入った理由は「真由美がいたから」の一言に尽きます。

一度、彼女のプレーを見た方ならわかると思いますが、どんな素人が見ても友成(商4)のプレーは見る人をうっとりとさせるほど綺麗で、上手で、見学に行った1年生当時、これまで見たことのない上手さで一際目立っていた彼女が同期だと聞いて、入部を決めました。なんであんなに上手い子が慶應にいるんだろう、初心者さながらの私が同期として入って平気だろうか?と躊躇いましたが、それ以上に一緒にバレーをしてみたいというワクワクが勝りました。

友成だけでなく、当時先輩にも同じような一流プレーヤーが在籍しており、桁違いに低いレベルの自分が一緒にプレーをするなんておこがましさも甚だしいと思いましたが、こんな一流プレーヤーとできる機会は一生訪れないと思い入部を決めました。

 

箸にも棒にも引っ掛からないだろうな、と初めから腹を括って入部をしましたが、そんな中で自分がどれだけ成長し、通用できるのかを4年間で試すプロジェクトだと思ってバレー部生活をスタートさせました。

入部後は、本当に箸にも棒にも引っ掛かりませんでした。笑

一年生時は自分は全体練習に混ざる事はほとんどなくて、個別に野田コーチから指導を受けていたり、ずっと体育館内外を走ってたりしてました。あとはレフェリーと雑用。とにかく当時は一生懸命やっていました。すごいな!かっこいいな!とむしろ憧れの眼差しで外から見ていた気がします。

でも、ある時「菜奈はゆくゆくはマネージャーになるのがいいんじゃないかな」とお言葉を頂きました。夏を迎える頃だったと思います。ショックでした。でも、それが今のチームの自分の立ち位置なんだと改めて思い知らされました。

その頃から、エースでバリバリ活躍する真由美を横目に、黙々と雑用だけをこなすことに虚しさを覚えるようになりました。そんな姿を見兼ねた先輩から「プレーでの貢献度はゼロなんだから、仕事で全力で貢献するしかないじゃない」と激励叱咤されて、悔しくて涙が止まりませんでした。

まずは、菜奈がいなきゃだめだと思わせるくらい庶務面で貢献しよう。でも、絶対に絶対に、いつかプレー面で皆んなをうならせてやる、と決心しました。

周りが10年、少なくても6年以上はバレーの経験を積んできたのに比べて私は圧倒的に経験がなかったので、他の人がこなしてきた量というものを短期間でこなさなくてはと単純に考えて、始業前の朝、空きコマ、オフの日と空いてる時間にボールを触りに行きました。その生活を、日吉キャンパスに通う2年間続けました。こんなことを言うと聞こえはいいですが、ここで気づいたのは質が伴ってない限りいくら量をこなしても無駄だと言うことでした。

当初は真由美から教えてもらった、一人でできるメニューをひたすらこなしていました。ただ、自分の何がだめなのか、上手くなるために何をどうすべきか。初歩であればあるほど、これを自分で気づくのはなかなか難しいです。なので、途中からは空いている先輩はいないかと声をかけ、マンツーマンで見てもらうようにしました。入部当初からバリバリエースだった真由美にも、オフの日や練習後にたくさん自主練に付き合ってもらいました。この真由美の指導がなかったら、絶対ここまで上達しなかったです。真由美、本当にありがとう。一つずつできるようになると一緒に喜んでくれて、あの自主練の時間が何よりも本当に楽しかったです。

しかし、日々の上達は感じられたものの、やはりスタートしたレベルが低すぎて初めの2年間はチームでは全く芽が出ませんでした。

2年生の冬の柿崎合宿ではほとんどレフェリー。あの数日間で出た試合の数はほんの僅かだったと思います。
来月からは3年生なのに。これだけ頑張ってきても、ダメなのか。もう、だめかもな、試合には出られないかもな。そんな気持ちでした。合宿最終日の夜、当時膝の怪我で療養してた真由美と野田コーチに、「やめたい」と漏らした気がします。無下に引き戻すでもなく、私の辛い気持ちを汲み取って優しく励ましてくれたお二人がいなかったらあの瞬間に本当にやめていたと思います。本当にありがとうございます。

やめようと思った一週間後に、転機がきました。忘れもしない、2019年3月31日の成蹊大学での終日練習試合でした。

いつも通りレフェリーをしてた時に、たまたま先輩と交代でリベロポジションで出ました、と言うより唐突に放り出されたような感じでした笑 まじか!とびっくりしたのと同時に、ここで爪痕を残せなかったら今度こそ終わる、一生試合に出られない、と思って死ぬ物狂いでプレーしました。良いプレーどうのこうのではなく、這いつくばってボールに飛びつく勢いでプレーしました。何をしたかは覚えてないです。笑 でも、それ以後練習試合で出させて頂くようになって、初めて春のリーグ、早慶戦、東日本インカレとレギュラーメンバーで出るようになりました。

嘘みたいでした。2年間全く芽が出なくて一切スポットも当たらない選手でしたが、ある日突然チャンスが訪れて人生を変えました。

試合に出られるようになってからも苦労はありましたが、それまでの暗黒の2年間に比べたらへっちゃらでむしろ楽しくて仕方ありませんでした。
執行代になってからも、4年生としての苦労がたくさんありました。でもそれは毎年どの4年生も同じように苦しんで、悩んで、乗り越えて行くと思うので敢えて書きません笑 それよりも泥臭い下積みを経験した者だからこそ伝えられるのは、すぐに結果が出なくても腐らずに努力し続けてほしい、ということ。
それと、実践的なことにはなりますが、とにかく質の伴った量をこなすこと。

特に後輩の代は人数も多くてより競争も激しい環境にあると思います。自分のことなんか誰も見ていないんじゃないか、と思っても絶対に下を向かないこと。努力を継続していれば絶対に転機は来ます。継続しなければ、来ません。

それを乗り越えるのは半端な辛さではありません。だから、挫けそうになった時はいつでも連絡してください。

稚拙な文章でまとまりのないラストブログとなってしまいましたが、少しでも何か後輩に伝えられたら幸いです。

バレー部で学んだことは数えきれない程ありますが、間違いなくこれからの長い人生で役に立つと信じています。ここまで育ててくださった青木監督、土井コーチ、野田コーチ、温子さん、あやかさん、その他先輩。また、主務業でたくさんお世話になったOBOGの方々。お世話になった皆様、本当にありがとうございました。

 

最後に、たった一人の同期である真由美。真由美がいなかったらここまで来れなかったし、こんなに最高な4年間を送れませんでした。下積み時代、一緒にコートに立つようになってから、そして本当に大変だった最後の1年。コロナで思うようにはいかなかったけど本当に楽しいラスト1年でした。授業中、練習前、練習後、家に帰った後もひたすらに話し合って議論して、当初は世界線が交わってなかったのに気がつけば阿吽の呼吸で何を考えているかもわかる境地にまできて、こんなに絆の深い代はないだろう!と自信を持って言えます。

ぶつかったことも多々あったけど、ぶつかってなかったらここまでの仲になれていなかったよ。最高の同期でした。ありがとう。

 

頼りない4年生でしたが、慕ってくれた後輩たち、ありがとう。

皆さんのことを本当に応援しています。

私たちが成し遂げられなかった3部2勝を是非果たしてください。

 

乱文、長文、失礼いたしました。

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