卒業生からのメッセージ
松平 康隆
昭和26年(1951年)主将として全日本大学選手権・全日本選手権で優勝
昭和27年(1952年)慶応義塾大学卒業・日本鋼管で選手、監督として活躍
昭和36年(1961年)から12年間全日本男子チームのコーチ・監督
昭和47年(1972年)全日本監督としてミュンヘンオリンピックで世界一
その後、日本バレーボール協会会長・アジアバレーボール連盟会長等要職歴任
平成11年(1999年)日本人として初めて世界スポーツマン殿堂入り
日本バレーボール協会最高顧問、三田バレーボールクラブ顧問、その他
皆さん、 お元気ですか。私は、1961年から72年まで、全日本男子バレーボールチームのコーチや監督を務め、幸いにも東京、メキシコ、ミュンヘンと、3回のオリンピックに出場し、銅銀金のメダルを総てを獲得しました。しかし良く考えてみると、それは殆ど、私が塾バレーボ―ル部の選手生活を送った、大学時代のお陰なんです。
とりわけ、みだりに人に迎合せず、独立自尊の精神の大切さを学んだことは、ミュンヘンオリンピック優勝の切り札であった、日本独特の移動時間差攻撃の戦法を編み出す、元になったからです。塾バレーボール部は、私の心のふるさとです。若い君達も、是非やってみませんか!?
市川 伊三夫
元 三菱銀行ニューヨーク支店長・常務取締役・専務取締役
元 ニコン株式会社副社長・副会長 現・ニコン株式会社顧問
現 日本バレーボール協会副会長・全日本大学バレーボール連盟会長
こんにちは、皆さん。OBの市川です。僕は今から50年も前に卒業した古いOBですが、バレーボールは今でも大好きで、何百人というOBや他校の仲間と、 親しく交際しています。年をとっても友人が減らず、逆に増えて行くのは、バレーボールをやったお陰で、周囲から羨ましがられてます。
でもその僕は、大学時代は名選手でも、名マネージャーでもなく、どこにでも居る地味な部員でした。スポーツの神様は、太陽と同じで、名選手にも地味な部員にも、同じように多くの教訓を授けてくれます。この教訓を楽しく、有り難く受けとめ、なるべく多くを体得した人が、人生の勝利者になるのです。僕と同じ様に、皆さんもバレーボールの太陽を浴びに来ませんか。待ってます。
五十嵐 陽
株式会社メタマート勤務
卒業してだいぶたちますが、2部との入替戦で勝てなかったことが今でも思い出せます。しかも負けたのは、3年の秋、4年の春・秋と3シーズン連続でした。本当に悔しい(現在進行形)です。
大学の生活では、勉強、恋やバイトなどいろいろありますが、皆さんは、バレーボール部での生活を中心にしてほしいと思います。バレーボールをやりながらでも、勉強も恋もできます。また、バレーボールをとおして、目標を達成することの重要さと困難さを体験することができます。私の学生生活では、バレーボール での目標は達成することはできませんでしたが、目標を達成するために努力するということは、その行動そのものが有意義なことなのではないでしょうか。
また、同じ目標をもった仲間の間には、友情が芽生えます。その友情は極めて強い絆です。先輩、後輩そして同期。卒業した今でも同じ話題で話せる貴重な存在です。特に同期には、迷惑をかけてばかりで今こうしていられるのも同期のおかげです。(ちょっとおだて過ぎかな??)
皆さんにもすばらしい出逢いがあります。勝利という目標達成のために、努力しましょう。そして、それが有意義な学生生活であってほしいと希望します。