日頃よりお世話になっております。文学部2年の山木柊と申します。
徐々に涼しい日も増えてきた今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は、あっという間だった夏休みの終わりを目の前にして少し寂しさを覚えております。
私事で恐縮なのですが、もうすぐ20回目の誕生日を迎え、ついに私もお酒が飲める年齢になります。20歳という節目にインフルエンザの影響によるロックダウンということもあり、これまでの自分を振り返る時間がありましたので、今回は思い出話をさせていただければと思います。よろしければお付き合いください。
思い返せば、私の慶應義塾での生活はバレーボールと共に始まっていました。中等部に入学した時私は、小学生時代に打ち込んでいたスポーツがなかったために部活選びに苦戦していました。席が近かったというだけで仲良くなった友達と部活の見学に通い、一緒に悩んだことを覚えています。スポーツ経験者がテニス部、サッカー部と入部先を決めていく中、私ともうひとりが取り残されてしまっていて、そんな時になんとなく行ったバレー部の見学で「バレー部は経験者も少ないし、人数も少ないからすぐに試合に出れる」と言われ、「ここだ!」とバレー部への入部を決断しました。この時に一緒に入部したのが、部活選びに一緒に取り残されていた、当時私の一つ後ろの席順だった山元康生です。私がバレーボールを始めたきっかけである彼と、今も同じチームでプレーしているというのは腐れ縁なのかなぁと思います。
中等部バレー部で過ごした3年間は、正直とてもきつかったです。中学校の部活にあるあるの事かもしれませんが、バレーボールをしている時間と同じくらいとは行かないまでも、かなりの時間を声出しをしながら走っていました。怒られては走ってを繰り返していた中学生の当時は「厳しすぎる」と音を上げることもありましたが、今思えばただ厳しいというわけではなく、中学生だからと甘やかさずに、大人としての当たり前を常に求められていただけでした。自分の行動の責任の取り方も、大人として筋を通すということもここで学ぶことができました。私が今こうして大人になれたのも(自分ではそう自負しております)中等部バレー部で鍛え上げられたからであると確信しています。そして顧問の先生がおっしゃっていた「いつかこの部活で過ごしたことが君たちにとっての財産になる」という言葉の意味が今ならわかります。私をバレーボールと出会わせて、大人にしてくれた顧問の先生方や大学生コーチはもちろん、私が中等部バレー部として過ごす上で関わった全ての人、物、場所に感謝しています。夏合宿で行った潮来の北利根川も日の出体育館も80人前おばさんのことも忘れていません。どれも汗と涙と吐瀉物でまみれた美しい思い出です。
以前に一度中等部の練習に顔を出す機会があり、現在の中等部バレー部を拝見しました。私の代はたったの3人しかいなかった中等部バレー部も、今では体育館のスペースが足りないほどの大所帯となっていて嬉しい限りです。そして、中学時代あんなに大きく、遠い存在のように思っていた大学生コーチを、私の後輩が立派に務めているところを見て感動し、とても誇らしく思います。
このような私的な話に最後までお付き合いいただきありがとうございます。これからも慶應義塾体育会バレー部へご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。また、大変恐縮ですが、我々の仲間である熊谷健太コーチ(商1)率いる中等部バレー部にもご声援いただけますと幸いです。
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