日頃よりお世話になっております。商学部1年の松山鼓太郎と申します。
日毎に暑さが増し、練習着を何枚も要する季節に差し掛かりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は年初に掲げた「体作り」がようやく少しずつ実感できるようになってきた所存でございます。
本日の活動日誌なのですが、私が日頃から大切にしている「当たり前」についてお話しさせていただこうと思います。「当たり前」は置かれている環境や個人の視点によって、意味や価値観は異なります。今回はこの「当たり前」を体育会バレーボール部(バレーボーラーとしての)の一員、人間性の2つの観点を基にお話しさせていただきます。
体育会バレーボール部における「当たり前」(バレーボールをする上での当たり前)は、人それぞれ異なるものだと思います。慶應義塾体育会バレーボール部の部員は、各々役割を持っています。1バレーボーラーとしての「当たり前」は様々な側面から考えることができ、この「当たり前」を体現することは非常に難しいことです。私自身、最近ブロックをまっすぐ飛ぶ、ネット際のプレーを丁寧に行うなど、ミドルブロッカーとしての「当たり前」のクオリティが不十分であると感じております。関東一部という日本トップレベルの環境でバレーをさせていただけることは非常に幸せなのですが、それと同時に高校より遥かに高いレベルが求められます。4年間でおける私の目標は「当たり前」をそつなくこなす選手になるということです。これは決して簡単なことではないのですが、自分に与えられた役割をしっかりと理解してプレーすることで、少しでも完璧な「当たり前」に近づけるのだと思います。
上記ではプレー面における「当たり前」を述べさせていただいたのですが、人間性においての「当たり前」についても熟考しました。この人間性における「当たり前」とは挨拶、準備、感謝の3要素から成り立っていると考えます。これらは塾バレー部に所属している上で必要不可欠な要素であると思います。
まず人間の基本である挨拶です。これは塾バレー部の一員として自覚を持ち、自ら率先して取り組むべきものです。
2つ目は準備や片付けです。これは私が大学に入って様々な先輩方を見て気づいたのですが、島田主将(経4)や松本喜輝さん(環4)、渡邊大昭さん(商3)をはじめとした先輩方が、率先して準備片付けに取り組まれております。試合に出場してチームを引っ張っている存在なのにも関わらず、この「当たり前」をしっかりとこなす先輩方の姿は、まさしく理想の先輩像であり、私たちが目標にすべき到達点でもあります。
3つ目の要素は感謝です。この「当たり前」は時折忘れがちなのですが、私たちが毎日楽しくバレーボールをできていることは決して当たり前のことではなく、様々な方々のご尽力の上で成り立っていることを忘れてはいけません。感謝を自ら発信し、周りに伝えるということが人間としての「当たり前」であり、必要不可欠なことなのです。
バレーボールに限らず、どの競技においても一流選手は自分の能力以上のことを求めず、「当たり前」を常日頃から追求しています。「当たり前」の完璧を自力で探求することで、我々は成長し、より良い選手になれるのです。
最後になりますが、今後とも塾バレー部へのご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
乱文失礼いたしました。