男子

悔しさと成長

商学部2年  松山 鼓太郎

日頃よりお世話になっております。商学部1年の松山鼓太郎と申します。
強まる日差しに夏への移ろいを感じる季節を迎えましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
リーグ戦が始まってから約3ヶ月、私含めた計7人の1年生で過ごしてまいりました。初めてのリーグ戦などで様々な壁に直面しましたが、7人の良さを一体化させて、皆で乗り越えてまいりました。この3ヶ月間は、私にとって忘れることのできない、とても濃密な期間となりました。

さて、今回の活動日誌では、大学生となって初めての春リーグを終え、とても敏感になった「悔しさ」という感情について少しお話しさせて頂きます。

皆様は「悔しさ」という感情について深く考えたことはありますか?「悔しさ」とは、自分の目標や期待に対する挫折や不成功を感じた時に生じる感情です。それは、自分自身に対する失望や後悔も伴うため、時には人を打ちのめすものでもあります。我々人間は、この「悔しさ」という感情から目を背けやすい傾向があります。

私の大学バレー生活は、怪我とともに始まりました。春の高校バレーが終わり、新たなステージで挑戦しようとしていた時期での怪我は、想像以上の苦を要するものでした。リーグ戦初戦2週間前の練習で、右足首を酷く捻挫してしまい、チームの全体練習を約3週間離脱していました。怪我をした最初の数日間は頭が真っ白になり、虚無の時間が続きました。そんな中、同期の山口は1年生ながらすでにスタメンとして試合で活躍しており、自分はベンチでしか試合を盛り上げることができない環境で、私は常に焦燥に駆られておりました。

「悔しさ」は、自分自身の弱点や課題を浮き彫りにする鏡でもあります。成功や喜びの瞬間では、自分の能力や努力を称えることができますが、「悔しさ」の瞬間では、自分の未熟さや不完全さに向き合う必要があります。私は「悔しい」という感情と向き合うのに、長い時間を要したのですが、この感情から逃げずに向き合った結果、自分自身のことを客観的かつ多角的に見つめ直すことができました。離脱による3週間を「自分に何が足りないのか」、「何を直すべきなのか」、自分なりに言語化し、具体的に探求する時間として費やしてきました。その結果、私に1番足りていないのは肉体面であるという結論に至りました。自分で言うのも憚られるのですが、高校時代に筋力的な見た目や、体つきに困ったことは1度もありませんでした。ですが、関東一部という日本トップレベルの環境で私の体は全くもって通用するものではありませんでした。そのため、最近は、今まで以上に筋力トレーニング(体づくり)に重きを置いて、活動しております。このように悔しさを少しでも克服するためには、まず冷静に自分自身を見つめ直すことが重要です。何がうまくいかなかったのか、どのような改善点があるのかを客観的に分析する必要があります。

約1ヶ月間の怪我の経験を経て、私は「悔しさ」という感情の重要性を学ぶことができました。「悔しさ」はただ単に辛苦が伴う感情なのではなく、私たちが成長する際に1番必要な原動力ともなるものです。「悔しさをバネにする」という言葉がありますが、決してただ単にがむしゃらに取り組めばいいということではありません。自分の欠点をしっかりと認識し、実現可能な目標を設定して日々努力することで、初めて意する言葉なのです。怒りと辛さにより機能する「悔しさ」は自身にとって何も成長をもたらしません。「悔しさ」に直面した際に、「これは自分が成長する上で必要な糧なのだ」、と自分なりに噛み砕く必要があるのです。人が「悔しさ」を感じなくなった時には、その人の成長の終わりを意味します。一時的にはとても辛い感情なのですが、しっかりとその感情と向き合い、「悔しさ」の根本を追求することで、我々は成長できるのだと思います。

秋リーグではしっかりとチームで戦力となり、試合に出るという大きな目標を掲げた上で、目の前の課題に全力で取り組んでまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

乱文失礼致しました。

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