日頃よりお世話になっております。
環境情報学部2年の緒方哲平です。
私の母が、くも膜下出血のため、3月1日4時13分に永眠いたしました。最期は家族に囲まれ、安らかな表情で眠るように旅立ちました。皆様におかれましては、どうかご自愛のうえお過ごしください。
母が倒れたことを知らせてくれたのは姉でした。不幸中の幸いにも、姉はその場に居合わせており、すぐに救急車を呼んでくれました。夜に姉から電話がかかってきたとき、私は正直「何だろう」と少し面倒に思いながら電話に出ました。しかし、受話器越しに聞こえた第一声は、泣きながら絞り出すように言った「お母さんがやばい」という言葉でした。
私は後日、飛行機に乗って地元・宮崎へ帰りました。母と対面し、父から告げられたのは「もう治らない」という現実でした。何の前触れもなかった出来事に、頭が真っ白になり、涙も言葉も出ませんでした。しかし、姉や祖母、父の泣いている姿を目の当たりにするうちに、少しずつ状況を理解し始め、私は6年以上ぶりに声を上げて泣きました。
みんなの前では「後悔はしていない」と意地を張っていましたが、正直なところ、後悔しかありません。もっと話しておけばよかった。もっと一緒に写真を撮っておけばよかった。もっとバレーの試合を見せたかった。もっとそばにいてあげられたら――そんな思いが何度も胸をよぎります。
母は6年前にも難病を患い、入院していました。そのとき私は「お母さんは俺が守る」と心に誓ったはずでした。それなのに、こんなにも突然、あっけなく旅立ってしまうのかと、世界を恨みました。
姉は母と毎日のように連絡を取り、電話で他愛のない話をし、何度も会いに行っていました。今回も母が倒れてからずっとそばに寄り添い、私が号泣しているときには背中をさすってくれました。本当に頼れる姉だと、改めて実感しました。
父も、母が倒れてから約2日間ほとんど眠らず、ずっとそばに付き添っていました。母が亡くなってからも、葬儀の準備や親しい方々への連絡に追われ、休む間もない状態でした。それでも私と姉の前では一切弱みを見せず、「大丈夫だから」と毅然とした態度で立ち続けていました。その姿を見て、私は「自分も父のようにならなければならない」と強く思いました。
小学生の頃から今の大学生になるまで、どれだけ忙しくてもどれだけ遠くても母は私の試合を見に来て応援してくれました。
家に帰ってからも、何度も何度も試合の動画を見返していた姿が、今も鮮明に思い出されます。
私がこれからできることは、母が心から大好きだったバレーボールをやり抜くことです。これは使命だからではありません。私自身がやりたいことだからです。
大好きな母のために。応援してくださっている方々のために。そして自分自身のために。これからもバレーボールを続けていきます。
今後とも、温かく見守っていただけますと幸いです。