男子

テセウスの船

経済学部2年  石田玲之

日頃よりお世話になっております。経済学部2年の石田玲之です。私が去年の夏頃に電撃入部を果たしてから今に至るまでに4年生は引退し、今では新1年生達が練習に顔を出すようになっており、時間の流れの早さを実感しています。ここでは私がこの半年で漠然と考えていた慶應義塾体育会の様な伝統ある組織と個人の関わり方についてを改めて文章に起こしてみようと思います。

「テセウスの船」という哲学的命題をご存知でしょうか。長い航海の中で部品を一つずつ交換していった船は、果たして出航時と同じ船と言えるのか、という問いです。私はこの話を大学の部活という組織になぞらえて考えることがあります。
大学の部活は、毎年必ず構成員が入れ替わります。4年生は引退し、ときには監督やコーチも世代交代を迎えます。一方で、新たな1年生が入部し、新しい指導者が加わることもあります。メンバーも方針も少しずつ変化していきます。この変化を間近に見ていると、「今のチームは、果たして自分が入部したときに見たあのチームと同じ存在なのだろうか」と考えさせられる瞬間があります。
特に4年生の引退や監督の交代は部に大きなインパクトを与えます。戦術も、声のトーンも、細かな練習や試合のルーティンも変化します。まるで船の大きな帆や舵が取り替えられたかのように、進み方そのものが変化することを今実感しています。しかし、それでも私たちは同じ白と紺のユニフォームを着て、同じ名前を掲げて試合に臨んでいます。外から見れば同じ部活であり続けていることでしょう。
では、何が「同じ」であり続けているのでしょうか。メンバー、指導者は変わります。戦術や目標設定も時代とともにアップデートされていきます。それでもなお、その組織を一つにしているものがあるはずです。それは理念や文化、そして受け継がれてきた価値観なのではないかと思います。
例えば、苦しい練習でも最後までやり切る姿勢、様々なバックグラウンドを持つ仲間達が苦楽を共にし高めあう雰囲気、練習後に必ず全員で振り返りを行う習慣。部活動のみに傾倒せずに文武両道を貫く理念。こうした目に見えにくい部分、更にはここでは言葉にすることの出来ない様な我々の無意識の内に染み込んでいる部分こそが、慶應義塾体育会バレーボール部という船の「骨組み」なのではないしょうか。木材や帆布は取り替えられても、航海の目的や進むべき方角が共有されている限り、その船は同じ名前を名乗り続けることができる、ということなのだと思います。
一方で、テセウスの船の問いは、単に「同じかどうか」を問うだけではありません。もし取り外された古い部品を集めてもう一度組み立てたら、それは本物の船なのか、という別の問いも含んでいます。これを部活に当てはめるなら、OBやOGの存在がそれに近いのかもしれません。現役を引退しても、彼らの経験や言葉、価値観はチームの中に残り続けています。ときに練習や試合に顔を出し、助言を頂くことで、過去と現在がつながります。つまり、部活という船は、完全に新しくなることも、完全に過去のままでいることもできない。常に「更新されながら継続する」という在り方をしています。
私はこの循環こそが、大学の部活の本質だと感じています。個人としての四年間は有限ですが、組織としての時間は連続しています。いつか自分達がいなくなったあとも船は進み続けていきます。その事実は少し寂しくも感じますが、同時に誇らしくも感じるのでしょう。引退する頃には自分達もまた、この船の一部として航海を支えたのだと思えるはずだからです。
テセウスの船が「同じ船」かどうかの答えは一つではありせん。しかしこの様な伝統ある組織において重要なのは、同じであるかどうかよりも、「どう在り続けるか」を所属する個人が自らに問い続けることなのではないでしょうか。変化を恐れず、それでも大切にすべき価値は守る。その繰り返しの中で、私たちの船は今日も新しい海へと漕ぎ出していきます。

乱文失礼いたしました。

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このページをシェアする

当サイトは、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。
推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。
セキュリティを向上させるため、またウェブサイトを快適に閲覧するため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。
このままご覧いただく方は、「閉じる」ボタンをクリックしてください。

閉じる