絶好調です。
2025年度、副将を務めさせていただきました。
環境情報学部4年の入来晃徳です。
引退して数日。
自由であるということに、これほどまでの高揚感を覚えるとは思いませんでした。
しかし、いざ自由になってみると、日常が誰もいない体育館のように静まり返り、無性に寂しくなるのも事実です。
身体は正直なもので、今でも毎日筋トレをしては、体育会時代のキツさを自分に課して、心の穴を埋めています。
先日、開放感に任せて河川敷で全力ダッシュをしました。直後、強烈な吐き気と頭痛に襲われ、本気で嘔吐しそうになりました。早くも身体は限界を訴えており、「ああ、本当に終わったんだな」と、妙に腑に落ちました。私の全ては、あのコートにあったのかもしれません。
さて、とうとう今回が最後の活動日誌です。
大学時代を振り返りながら、ある一人の「勘違い男」が、どのように体育会バレー部という環境で揉まれ、変わっていったのか。私の半生を読み、少しでも「なんて変な人間、そしてなんて面白い人間なんだ」と感じていただければ幸いです。
高校時代の私は、身長と少しばかりの運動能力を「実力」だと勘違いしている、かなり鼻が伸びた人間でした。
「人を信頼する」ことを知らず、他人との距離感が掴めない。
同期と一緒に勝っても、心の底から喜べるのかすら分からない。
内心では「この仲間と勝って本当に喜べるのか?」という問いを抱えながら、結果だけは欲しがる。
当然、そんなエースがいるチームが勝てるはずもなく、インターハイ予選で敗北。
私の高校バレーはあっけなく幕を閉じました。
唯一の希望は、高校の担任だった曲を作る面白い先生。
先生が教えてくれた「現実の残酷さ」と「夢の輝き」のギャップだけが、私の心をなんとか繋ぎ止めてくれていました。
そんな私が慶應バレー部を目指したのは2年の冬。
監督の星谷さんと宗雲さんが、はるばる私の地元・長崎まで来てくださった日のことを今でも鮮明に覚えています。
かっこいいスーツに身を包んだお二人は、当時迷っていた私にこう言いました。
「どの環境よりも世界が広がる環境を保証する」
その言葉と、圧倒的に輝いて見えた姿。
私はその光に吸い寄せられるように、その日に志望を決意しました。
その後、本当に様々な方にご尽力いただきなんとか合格することができました。
礼儀も実力も本当に何も持たなかった私にこの道を進め、助けてくださった方々に感謝申し上げたいと思います。
この環境、人に出会えて本当に良かったです。
ありがとうございました。
そんな多くの方の力を借りて入部した私ですが、待っていたのは「自分の無力さ」を突きつけられる日々でした。
雑用は率先してやらない。
大したプレーヤーでもないのに口だけは一丁前。
すぐに体を壊す。
当時の私は、今の私が殴り飛ばしたくなるほど、本当に酷かったと思います。
恥ずかしくて、怖くて、人を信じることも頼ることもできず、当然のように孤立しました。同期が言う「入来は本当にひどかった」という言葉は、紛れもない事実です。
身長と運動神経だけでバレーをしてきた傲慢な自分。
それが「実力」ではなく、周りに生かされていただけだと気づくには、あまりにも私は幼すぎたんだと思います。
そして大学2年。さらに深く暗い期間が訪れます。
一向に上手くならないサーブキャッチ、決まらないスパイク。
「2年になれば試合に出られるだろう」というような甘い見積もりは全て、ものの見事に崩壊しました。
冬の早慶明戦ではベンチにすら入れず、応援席へ。
「ここには、お前の居場所はない」
現実がそう突きつけていました。
「これまでたくさんの人から様々な場所で指導してもらって、このザマか」
あの時の私を包んでいた、悔しさや歯痒さなどの暗くて重たいどろっとした物は、今でも昨日のことのように思い出せます。
そんな暗い毎日で唯一、私を裏切らなかったのが「筋トレ」でした。
ボール練習では通用しない。
信頼もない。
実力も何もない。
当時の私には、ボールコントロールも、仲間からの信頼も、何一つありませんでした。 けれど、重量だけは嘘をつきませんでした。
1キロ重くすれば、1キロ分だけ重くなる。
けれど、挙げきればその分だけ、私を確実に支えてくれる。
この単純明快な積み重ねだけが、当時の私の唯一の救いでした。
「あいつ、自主練習もしないで何やってんの?」
そんな声も聞こえましたが、悔しくてとにかくやりました。
皮膚はボロボロに剥け、手からはずっと錆びた鉄の匂いがする。毎日どこかが痛くて、身体は悲鳴を上げている。
それでも構いませんでした。なぜなら、私が怪我をして潰れたところで、チームには何の損失もないから。誰も気づきすらしないから。その残酷な事実にまた傷つきながら、私はその悔しさを込めて鉄を握りました。
原動力は、半分が意地。もう半分は、輝きたいという飢え。
あの孤独で、つまらなくて、鉄臭い毎日こそが、今の私の骨格です。
無力感に自分を殺されそうになったあの日常で、筋肉だけは、私を見捨てなかった。
苦しかったけど、最高の日々でした。
そんな中、大槻さん(2024卒)には本当にお世話になりました。
これまでの人生を通して全てにおいて覚悟のレベルが違った大槻さんは、こんな未熟な私を気にかけてくれ、真っ直ぐな言葉をぶつけてくれました。
「こんなにも純粋に、バレーに向き合う人がいるのか」
バレーボール人生で初めて、「人を信頼する」ことの強さを知りました。
大槻さんがいなかったら、私は間違いなくここで終わっていました。
そして大学3年になり、ついに試合に出場する機会が巡ってきました。
筋トレで培ったフィジカルが、少しずつコート上で機能し始めました。
春リーグ、当時の大エースであった大昭さん(2025卒)にトスが集まる中、私にはほとんど上がってきませんでしたが、それでも楽しかった。
ボールを追って繋がる喜び、スパイクを決めた時の会場の沸き立つ高揚感。
「ああ、バレーボールってこんなに楽しかったのか」
久しぶりに生きた心地がしました。
しかし、神様はそう簡単には微笑みません。
春リーグ期間中に肘の靱帯を損傷。入れ替え戦にて2部降格。
1年生の時に味わった2部降格の絶望が、よりリアルな重量を持って目の前で再びのしかかりました。続く早慶戦も怪我の影響でほとんど出られず、早稲田アリーナで輝く仲間をベンチで応援する中、
「なんで俺はいつもこうなんだ」と唇を噛んだのを覚えています。
秋リーグでも結果は2部5位。これが私の現在地でした。
「これだけ多くの方の思いを背負って戦う資格が、今の自分にあるのか」
いろんな言い訳を並べて、逃げ出したくなる私を、先輩方や同期が支えてくれました。本当に迷惑をかけました。
そして迎えた、最終学年。
あんなに酷かった私が、4年生として唯一コートに立ち、副将という肩書を背負っていました。結果だけ見れば、目標としていた一部昇格には届きませんでした。
しかし、ただただ毎日が楽しかった。
たくさんの人の思いが乗ったトスが上がってくる瞬間。点を決めた瞬間。チームの命運を握るという重圧感。その全てが心地よかった。
最後の早慶戦。
ネットの向こうに立ちはだかるのは、今年も圧倒的強さで関東一部リーグ一位に君臨する早稲田大学。
歴代の先輩たちが魂を削って、数々の熱戦を演じてきた早慶戦という聖域。
そのコートに、4年生として立っているのは、私一人だけでした。
私が弱気になれば、チームが折れる。
一歩でも引けば、この伝統の一戦が、ただの蹂躙劇へと変わってしまう。
一瞬たりとも気が抜けない、ミス一つで全てが崩れ落ちるような、ヒリつくほどの緊張感を全身で受けていました。
そのギリギリの緊迫感の中で、私は人生で最も濃密な時間を過ごしました。
コートから見える景色は、最高でした。
自分がスパイクを叩き込み、振り返った瞬間。会場が揺れる。ベンチが跳ねる。画面の向こうの視線を感じる。
その時、一人一人の観客の感情が、波紋のように広がっていくのが見えました。
その瞬間「これだ!」と強く確信したのを覚えています。
私が求めていたのは、これだったんだ。
私は、誰かの心を動かすことが楽しくて仕方がない。
自分が一つの感動の震源地となって、たくさんの人の感情を揺さぶりたい。
結果は足が攣って途中交代という、情けない幕切れでした。
それでも、あの瞬間の景色、あの熱狂の中心にいた感覚は、一生忘れません。
この感覚を味わうために、私は体育会に入り、あの孤独な日々を耐え抜いたのだと知りました。
ボールを託してくれて、責任を負わせてくれてありがとうございました。
星谷さんへ
4年前、スーツ姿のあなたに憧れてこの門を叩きました。
「世界が広がる」という言葉は本当でした。とんでもない人間だった私を何度も叱り、誰よりも向き合って変えようとしてくださり、ありがとうございました。
これから、星谷さんの思考と遺伝子を受け継ぎ、夢に向かって走り抜けます。
本当にお世話になりました。
同期へ
みんなが眩しくて、羨ましくて、仕方なかった。
自分の弱みを見せられず、必死に距離を取っていた俺を見捨てずに、支えてくれてありがとう。みんながいたから、最後まで戦えました。少し変な言い方だけど、同期から「同期の大切さ」を学びました。
康生へ
長い間、特に最後の一年は、全力で支えてくれてありがとう。
キャプテンとして誰よりも時間を使い、泥臭くやり抜いてくれた康生の背中から「本物のリーダーとは何か」を学ばせてもらいました。康生がいたから俺は走り抜けることができた。その性格とリーダーシップを誰よりも尊敬しています。康生のようなかっこよくて律儀な人間と過ごせた4年間を誇りに思う。
柊へ
俺を支えてくれて、そして一番かまってくれてありがとう。
柊がいなかったら俺は普通に部活を辞めていた。常に冷静で、しっかりと善悪を伝えてくれて、それでいて優しい。これまでの人生で出会ったことがない人種でした。柊と出会えたから、俺は仲間を信頼し、相談することができるようになった。選手も主務もこなし、将来にも向き合う柊はいつも眩しかった。いつも「入来って友達なのかなー?」って言ってくるけど、俺は勝手に一生親友だと思い続けるし、いつでも恩返しするつもりです。
一之心へ
正直、ずっと羨ましかった。俺にないものを全て持っていたから。目の前のことに全力でぶつかる姿勢は見習うべきところばかりだった。だからこそ、かなりウザかったし、良くないことも言ってしまったと思う。それでも同期として支え、後輩を、チームをまとめ上げてくれた一之心を尊敬しているし、感謝している。ありがとう。
健介へ
面白すぎた。最高だった。カリスマになって会いに行く。また
一木へ
初めて「衝突したけど尊敬できる人間」と出会うことができた。
これまで衝突した相手とは分かり合えなかったけれど、一木を見ていると、そんなものは俺の甘えだと気付かされた。最後まで諦めず、後輩を思いやる姿は先輩そのものだった。俺のことを「将棋のコマ」と言われた時はかなり頭に来たけど、でも一緒に戦えて楽しかった。ありがとう。
歩奈へ
最高の場所を用意してくれて、そして部を支えてくれてありがとう。
歩奈がいたからあの景色を見ることができた。誰よりも一生懸命応援してくれる歩奈がいたからこそ頑張り切れた。「全力の伝播」といつも掲げていたけれど、それを最前線で、誰よりも熱く体現していたのは歩奈だったと思う。
後輩達へ
とにかく、足掻いてほしい。
自分は、あの孤独で苦しんだ日々があったからこそ、変わることができました。
だから、とことん全力を出し尽くしてください。
苦しみの先にしか見えない、人生を懸けてでも追い求めたくなるような「眩しくて仕方ないもの」が、絶対に見えてくるはずだと思います。
これからみんなが何を見つけ、どう変わっていくのか。
楽しみにしています。どんな時でもずっと応援しています。
両親
長い間支えてくれてありがとう。
長崎から出てきて、金銭面や怪我でかなりいろんな負担をかけたけど、おかげさまで納得してバレーボール人生に幕を下ろすことができます。ビッグマウスでわけわからんところが多くて、不安ばかりかかる息子だと思うけど、これからも俺はいろんなところに飛び込み続けたいと思っています。そこでまた新たな光を見せられたら嬉しいです。ありがとう。
引退して、ようやく自分の正体に気づきました。
私はバレーボールという競技そのもの以上に、「人が熱狂するものを作ること」に飢えていたのです。
試合で点が決まった時の、あの熱狂。
振り返った時に見えた、観客の感情が動く景色。
あれが本当に楽しくて、たまらなかった。
だからこそ、この慶應バレー部という環境は私にとって最高でした。
14年間、バレーボールと共に過ごした自分との別れに寂しさはあります。
しかし、それ以上に未来への期待で胸が張り裂けそうです。
改めまして、関わってくださった全ての方々に感謝申し上げます。
本当に、ありがとうございました。
これまでは9m×9mの狭いバレーボールコートが僕の世界の全てでした。
でも明日からは、この地球すべてが僕のフィールドであり、戦場です。
9×9のコートから、戦場地球へ。
最後に、今年一年、私が根拠もなく、けれど誰よりも本気で使い続けた言葉と共に締めくくります。
「任せとけ、もっと面白いものを見せてやる。」
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