絶好調です。
2025年度渉外主務を務めました、経済学部4年の河村歩奈です。
先日12月16日の納会をもって、慶應義塾体育会バレーボールを引退しました。途方もなく先のことに思えた「引退」を迎え、信じられない気持ちもありましたが、先輩・後輩からもらったメッセージを読み返すにつれ徐々に実感が湧いてきました。
幾度となく書いてきた活動日誌もこれが最後です。現役時代、悩んだ時は他部活含め多くの方の引退ブログを読み、学びを得ると同時に励まされていました。話したこともない他部活のマネージャーの方の引退ブログが刺さりすぎて、スクショしてスマホのロック画面にしていたこともありました。(同期にドン引きされて変えました。)
この引退ブログでは、4年間の振り返りとそこから得た学びを書こうと思います。早慶戦に伴う4年間の振り返りは別の日誌(https://keiovb.com/blog/16973/)に書いたので、合わせて読んでいただけたら嬉しいです。バレー部の後輩たちへのメッセージと同時に、現役時代の私のように、名も知らぬどこかの悩める学生スタッフを励ますことのできるものになるといいなと思っています。長くなるかと存じますが最後までお付き合いいただけますと幸いです。
4年前、中高時代を吹奏楽部で過ごし、バレーボールはおろか運動部も未経験だった私が、バレー部への入部を決めました。大学4年間、学生の立場でしかできない「部活」に命を燃やしたい。そして4年間本気でやるなら、見ていて好きな競技じゃないと続かないだろうと思い、この部に飛び込みました。こう書くと、なにか強い信念のもとで選択したように思われるかもしれません。もちろん上記の理由に嘘はありませんが、今振り返ると、正直なところこの選択は私の「逃げ」の結果でもありました。
中学3年間と高校の初めの1年間、私は本当に吹奏楽が好きでした。指揮者や仲間たちと目を合わせて演奏すると、自然と互いの信頼の気持ちが伝わり心が繋がるようなそんな実感があったからです。楽器も好きで、たくさん練習しました。自分は上手い方だと思っていました。
その気持ちを持って、高校1年生の頃ソロコンテストへの出場を決めました。人生で初めてのソロ曲、気合を入れて外部のコーチの元にも通い始め、毎日10kgの楽器を背負いながら登下校しました。しかしそこで突きつけられたのは、自分は下手で、所詮井の中の蛙でしか無かったという現実です。結局、私はソロコンテストには出ませんでした。ピアノの伴奏の子の急用を理由にしましたが、最悪自分一人でもステージに立つことはできたはずです。それでも、出場しませんでした。自分が下手だという事実を、客観的に突きつけられるのが怖かったのです。私は弱い人間でした。
さらにコロナでまともに部活ができなくなり、仲間と共に目を合して練習することもできない。吹奏楽への愛も少しずつ薄れていきました。「音楽は明確な勝ち負けがないからどう頑張ればいいか分からない」などとそれっぽい理由をつけて、大学では音楽を続けないことを決めました。この「逃げ」は今も私の根幹に劣等感として強く残っています。大学で音楽を続ける中高の同期にはもちろん、バレーボールという一つの競技に何年も向き合い続け大学でも続ける決意をしたバレー部のみんなに対しても、ずっと引け目を感じていました。しかし、この根底にある劣等感こそが私を突き動かしてきた原動力でした。
この4年間を終えて思うのは、最初のきっかけがこのようなネガティブでダサいものであっても、別にいいんじゃないかということです。結果として今行動出来ていて、そんな自分を好きになれているなら、当時の自分を肯定していいんじゃないかと思います。
そんな経緯で体育会バレーボール部に入部しました。今の1,2年生たちは少し驚くかもしれませんが、私はアナリストとして入部しました。何も競技知識が無いからこそ、全力で向き合わなければ信頼を得ることはできない。そう思い、ずっとバレーの動画を見たり、データバレーを触り続けていましたが、なかなか成長実感や自信を感じられなくなっていました。
そして入部から約1か月半が経った頃、部の事情で渉外への転向を打診されました。正直、ある程度予想していたこともあったため大きな驚きはありませんでしたが、直接勝利に貢献したいという気持ちと、そのために固めていた覚悟との折り合いをつけるのが難しく、不安に感じていました。しかし同時に、アナリストへの適性のなさに気づき始めており、このままでは部へ貢献できることに限度があると思っていたので、どこかでこの転向にほっとする気持ちもあったのも事実です。当時の先輩方は、私が自己犠牲の覚悟で渉外に転向したと思ってくださっていたかもしれませんが、実際にはそんなにかっこいいものではありませんでした。
転向にあたり、大切にしていた考え方があります。「どうせやるなら前向きに」。渉外への転向そのものに対してもそうでしたが、渉外として様々な人から降ってくるタスクに気持ちが乗らないこともありました。それでも、無理やりにでも前向きに取り組み、どうすればより良くできるかを常に考えるようにしました。この考え方は、きっと今後も役立つだろうと思います。そしてこの姿勢は厳さん(2024年卒)から教えてもらったものです。私と同じくアナリストから渉外に転向した厳さん。私以上に、この転向には葛藤があったはずなのに、それでも渉外として部の窓口として誇り高く仕事をし、「人のため」に全力を尽くしつつ、さらに自分の夢も明確に掲げている。そんな厳さんの姿は、渉外主務の枠を超え、人として私の憧れです。渉外主務になってからも、「厳さんだったらどうするか?」を考えながら、なるべくポジティブに乗り越えてきました。
入部から少し経った頃、綿田恭子先輩(1987年卒)のお誕生日会に呼んでいただきました。歴代の渉外が集まったその会。卒業後も続く深い繋がりに体育会の持つ歴史の重みを感じました。右も左も分からない、まだ部に1ミリも貢献できていない私に「バレー部に入ってくれてありがとう」と笑顔で迎えてくださった嬉しさは、今も忘れられません。と同時に、この歴史の一端を担う責任の重さを痛感した瞬間でした。
1年の頃、私の業務はSNS広報が中心でした。厳さんと相談・分担しながら、自分の考えたことが投稿として形になる、そしてSNSを見てくれる方から感想をいただく。明確な達成感を感じられてやりがいのある仕事でした。そんな時、降さん(2023年卒)から「今年の広報は4年間で1番だった」と言っていただけたことは、その後4年間の大きな原動力と自信になりました。2年目には早慶戦で責任ある班リーダーの立場を任せていただきました。うまくいかないことの方が多い半年間ではありましたが、無事に早慶戦当日を迎えられた喜びは忘れられません。それ以外も、厳さんが掲げる夢を一緒に見させてもらい、ともに走り続ける日々は本当に楽しかったです。
3年目は、正直なところこの4年間で一番辛いことが多かった日々だったように思います。厳さんが引退され、次に新入生が入部するまでの3ヶ月間、一人で渉外業務を担わなければならない。1個上の「代」の中で、3年生である自分が渉外のトップとして、責任ある決断を求められる重圧。思っていたよりもそのことが辛く感じられ、自分の未熟さを痛感する日々でしたし、歴代の先輩方が乗り越えてきた道だとは信じられないほど、長く感じられた時間でした。
この時期に学んだことは、「違いを共有することで信頼が生まれる」ということです。それまでの私は、「スタッフである自分が選手に悩みを相談するのはよくない」と考えていました。選手がバレーに集中できる環境を整えるのが自分の役目で、それを当たり前にこなすのが美学だと思っていたのです。しかし、それによって余裕をなくし、笑顔が消えてしまっては本末転倒です。そこで思い切って、「今、自分はこういうことに悩んでいる」と同期にさらけ出したところ、選手目線のアドバイスをもらえるだけでなく、信頼関係もさらに深まりました。「信頼」は「信じて頼る」と書く。選手スタッフ立場に関わらず、抱え込むのではなく仲間を「頼って」欲しいです。
そのほかにも、この時期に救われた言葉があります。それは晟己さん(大槻・2024年卒)が卒業の際にメッセージカードに書いてくださった「渉外主務という責任ある立場になったからといって小さくまとまらないで」という言葉です。渉外主務になった当初、とにかくミスがないように、2年目までとは打って変わって保守的になりがちでした。その年の3月ごろに改めてメッセージカードを読みかえしたとき、こんな自分を見抜いていた晟己さんへ尊敬の気持ちを抱くと同時に、自分への情けなさに落胆しました。自分に渉外のやりがいを教えてくださった厳さんは、部での自分の夢を明確に持っていた。そんな姿に憧れたはずなのに自分は何をしていたんだろうと思いました。この気づきが、その後の早慶戦に全力で向き合う原動力になりました。
そして自分なりの渉外主務像を持って迎えたラストイヤー。嬉しいことに、10人以上のスタッフ希望者が集まりました。厳さんから莉子(渡邉・文2)へと繋いできたSNS広報の効果に驚くと同時に、「入りたい」と思ってもらえる部活なんだということに強い誇らしさを感じました。
そこで出会った莉奈(眞田・理1)と香凜(山田・法1)から、大切なことを教わりました。二人がマネージャーとしてフロアでの練習サポートを中心に担ってくれたおかげで、私は早慶戦の業務や事務作業に、例年以上に時間を割くことができました。私が今年1年を走り抜き、早慶戦で夢を叶えられたのは、間違いなく二人のおかげです。そんな二人から学んだのは、「直接的ではなくても、自らの一つの行動は必ず誰かのためになっている」ということです。 私はこれまで、自分の仕事は勝利に直結しないからと、どこか自信を持てずにいました。例えば秋リーグ中、入替戦に向けて全力で練習に励む選手たちのかたわら、全早慶明に向けて準備をしている自分に、罪悪感や疎外感を感じることもありました。でも、それは違うのだと今は思えます。「誰かがしなければならなかったこと」を、今自分が担っている。この部活動には自分よりも頑張っている人がたくさんいます。だからこそ、自分が何をすればそんなみんなにとってプラスになるのか?を考え、全力を尽くすしかない。そう覚悟を決めることができました。
そして迎えた最後の早慶戦。冒頭にも取り上げたた早慶戦直後に書いた活動日誌(https://keiovb.com/blog/16973/)にはかっこつけて書くことができませんでしたが、本当に辛いことの方が多かったです。特にラスト1週間は追い込まれて、21歳にもなって家で母に抱きついて泣き続けていました。それでもやり抜いた。その結果、人生最高の景色を見ることができた、夢を全部叶えることができました。
なぜこの時頑張れたのか。その理由は二つあります。一つはもちろん、柊(山木・文4)や航大(林・商3)、莉子(渡邉・文2)をはじめとしたスタッフ陣が横で一緒に走り抜いてくれたこと。もう一つは、「選手あってのマネージャーだ」ということです。選手たちが日々自分の弱さと向き合いながら、部活に全力で取り組む姿勢を見ていたからこそ、自分だけここで負けるわけにはいきませんでした。この様に、私は選手たちからたくさんのパワーをもらっていました。だからこそ、反対に「選手にとって女子スタッフはどんな存在なのか」と考えることもありました。考え尽くしてもわからないから、自分のやっていることが正解かわからなくて、悩むこともありました。わからないなら、まずは今自分にできる最高のサポートをするしかない。この覚悟が、最後まで私の原動力になりました。
4年間を通して学んだこと、それは「全力は伝播する」ということです。全カレの個人意気込みにもこの言葉を選びました。みんなが全力で部活に向き合うからこそ、私も渉外という役職に全力のめり込むことができた。みんなから力をもらったように、私の全力が誰かの背中を押せたらいいなと思って、全力で走り抜いたラストイヤーでした。その答え合わせはできていないし、引退してからも部にとっての自分の存在意義を明確に言語化はできないままですが、この4年間で関わってくださった方々のうち、誰かの力になれていたら幸せです。
長くなりましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。最後になりますが、お世話になった方々への感謝の言葉を述べて終わりたいと思います。
星谷監督
4年前、バレーボールはおろか運動部、マネージャーも未経験の私の入部を認めてくださりありがとうございました。今思うととても無鉄砲な決断だったなと思いますが、これが私の人生のターニングポイントになりました。マネージャーに対しても選手に対してと同じように熱量高く向き合ってくださる星谷監督のおかげで、人間として成長することができました。
藤澤総監督
試合のたび、一スタッフの私にも握手をしてくださいました。その固い握手に何度も救われました。そしていつも試合での私の声を褒めてくださって、どんなに辛い時でもその一つの自信があったから、最後までやり抜くことができました。本当にありがとうございました。
三田バレーボールクラブの皆様
4年間たくさんのご指導をありがとうございました。渉外としてOBOGの皆様と多く関わることのできる立場にいたからこそ見られた景色や、得られた考え方は私の財産です。おかげで自らの成長を感じることができました。これからは私も一OGとして、部へ「感謝の循環」を繋いでいきたいです。
綿田恭子先輩、星谷枝里子先輩(2014年卒)、髙橋真帆先輩(2022年卒)を始めとする渉外主務OGの皆さま
渉外主務になって責任の重さに押しつぶされそうになることも沢山ありましたが、なんでも悩みを相談できる皆様が近くにいてくださったから乗り越えることができました。ありがとうございました。
保護者の皆様
4年間、どんなときでも塾バレー部の味方でいてくださり本当にありがとうございました。温かいご声援とサポートに何度救われたか分かりません。会場でお会いするたびに「歩奈ちゃん!河村さん!」と声をかけていただくことが本当に嬉しかったですし、最後に全カレで一緒に応援できたこともとても楽しかったです。これからも塾バレー部への応援をよろしくお願いいたします。
すずさん(藤田・2023年卒)、厳さん、りりかさん(三ツ井・2024年卒)
男子部活の中でも女子スタッフとして存在感を持って活動されていた3人は私の憧れであり、いつまでも私の指針です。引退されてからも、たくさん悩みを聞いていただきありがとうございました!
後輩スタッフのみんな
明るく可愛いみんなのおかげで、仕事面だけでなく精神面も幾度となく助けられました。人のために頑張れる強くてかっこいいみんなだからこそ、初心を忘れず「なぜ部に入ったのか」その目的を心に刻んで、自分のための4年間にして欲しいです。応援しています!
莉子
2年間こんな私についてきてくれて本当にありがとう。たくさん無茶振りしてしまったけど、いつもそれに応えてくれて本当に頼もしかった。これからは抱え込みすぎず、自信を持ってたくさんの人を巻き込みながらやりたいことを叶えて行って欲しい!
後輩のみんな
作ってくれたモチベーションビデオやメッセージ動画、アルバムなど、本当にみんなからの愛を感じました。こんなに幸せでいいのでしょうか。バレーボールはおろか運動部の経験もない私が、バレーボールに何年も向き合ってきたみんなと一緒に夢を見させてもらったこと、同じ目標を共有できたこと。絶対に当たり前ではないし、本当にありがたかったなと思います。最後の全カレで「ベスト8に連れていきたかった」と泣いてくれる後輩を見て、もちろん結果は悔しいものだけれど、私はなんて幸せ者なんだと思いました。苦しいことも辛いこともこの4年間たくさんあったけれど、こんな素敵な仲間たちに恵まれて、幸せと言うよりほかありません。ずっと応援しています。
高校時代の友人
忙しい中試合を見にきてくれたり、私の週1のオフに合わせて予定を開けておいてくれたり、本当にありがとう。みんなとふざけ合う時間がなければ絶対に4年間続けてこれなかった。これからはもっと遊びましょう。
家族
4年間なんの不自由もなく体育会に打ち込めたのは、紛れもなく家族のおかげです。家で不機嫌をぶつけたり、泣いたり、たくさん迷惑をかけてごめんなさい。バレーボール経験がないどころか、運動音痴で幼稚園の頃からかけっこはビリ、スポーツテストも下から数える方が早い。そんな私が体育会に入りたいだなんて、驚かせただろうしとても心配だったと思います。私は選手じゃないし絶対に試合に出ないのに、それでも早慶戦には祖父母から従兄弟までみんなが見にきてくれました。ママはリーグ戦も含め、決して近いとは言えない会場にも毎試合応援に来てくれていました。本当に恵まれていたし、4年間辞めずに走りぬくことができたのは家族のみんなのおかげです。私が大好きな慶應バレー部を、一緒に好きになってくれてありがとう。
同期
入部したての頃、立川さん(2024年卒)に「歩奈は本当にいい同期を持ったね、この代のマネージャーでよかったね」と言われました。その時はその言葉の真意がいまいちよくわからなかったけれど、今その意味を痛感しています。言語化力が高く、誰かのために考え行動し悩むことができるみんなを同期に持てて、心から誇らしいです。同期唯一の女子で、すぐに強がるし口も悪いし何かとやりにくかったかもしれないけど、受け入れてくれてありがとう。振り返るとなんだかんだ楽しい思い出でいっぱいです。みんなのおかげで最後まで走り抜けました。
慶應バレー部で過ごした4年間を心から誇りに思います。出会った全ての方々、そしてかけていただいた言葉の一つ一つが宝物です。4年間本当にありがとうございました。
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