平素よりお世話になっております。
本年度主務を務めさせていただきました、商学部4年の西村美葵です。
この1年間、数えきれないほど慶應義塾体育会バレーボール部女子チーム主務の西村美葵ですと名乗りメールをお送りしておりましたが、今後の人生でこのように名乗ることはないんだと思うとなんだか不思議な気持ちです。
前回のブログはなんという巡り合わせか自身の選手として臨む最後の試合の日でした。あっという間に2ヶ月が経過し、遂に最後のブログ更新となりました。
私のことを少しでも知ってくれている人は想像できると思いますが、世の中が思い描く大学生像のような遊びまくる性格ではなく、予定がなければ家から出ず、スマホの万歩計が2桁で収まる程度の動きで1日を終えるような人間でした。でもスポーツをやるために身体を動かすのは好きだったので、引きこもり生活をするよりは体育会で本気でスポーツに打ち込もうかと考えておりました。
体育会で残った候補は、バレーボールか、大学で初心者から始める人が多いから美葵ならなんとかなるような気もすると教えてもらったグラホの2択でした。結局、一貫校出身で中学時代も長い時間を過ごした同期の未羽、柊、康生がバレーボールを続けると知り、人見知りが激しい私は全くの新しい環境で交友関係を築き新しいスポーツを始めるより、今までたくさんの魅力を教えてもらい大好きだったバレーボールをする方が絶対いいと思い、この部に入部いたしました。
入部してすぐに3部での春季リーグが始まりました。どういう舞台なのか、その重みを全く理解しておりませんでした。高校とは一味違う、レベルの高いバレーボールを目の当たりにし、この3部の舞台でコートに立って試合に勝つという明確な目標を見つけました。
1.2年生を振り返ると怪我をしてバレーボールができなかったり、私の不甲斐なさからチームが思うような結果を残せずただただ申し訳ない気持ちでいっぱいです。
Team2024で過ごした時間は私にとって本当に大きな財産となりました。チーム始動時は少人数だったからこそ、バレーボールと本気で向き合おうとする部員に刺激を受け、とても成長できた1年だったと思います。
副務を拝命した納会の日、松尾監督に呼び止められ「この1年間は、想像もできないくらい苦しい、大変な日々になると思う。」と言われたのを今でも覚えています。最初は軽く受け止め、なんとかなると考えていましたが、今なら松尾監督があの日に伝えてくださった意味が痛いほどわかります。私のせいで当時主務の莉黄さんに信じられないほどご迷惑をかけ、力になれず苦しむ姿を側で見ることもありました。その際、莉黄さんだけではなくチーム全体に影響を及ぼす責任の重さを痛感しました。
入部当初では想像もできなかった執行代もあっという間に訪れました。このチームは3部昇格は当たり前、格上のチームにどれだけ挑めるのか。そんなお言葉を聞き、プレッシャーを感じながらもスタートしました。
春季リーグで1番印象に残っているのは3部昇格を決めた埼玉大学戦です。2セット目の最後に集めてくれたボールを決めきれずにセットを落とし、次のセットも落としたら3部で戦える最後のチャンスを失い、目標を叶えることが出来ないと1人早くも絶望していました。顔には出さないようにしていたつもりでしたが丸谷コーチ、本多コーチにずっと励まされ、なぜ心情が読まれているんだと思いながらも前を向こうと返事をし続け、セット間の3分を過ごしました。日南には、あの時の美葵の絶望している姿を忘れられないと今でも何度も言われます。結果は周りの人が必死に繋ぎ続けてくれたおかげで昇格。このチームで戦った試合で1番緊張しましたが、嬉しさと同じくらい、それ以上に安堵の気持ちでした。
柿崎合宿では、1試合ごとにしっかり目標を持ち、改善を繰り返し、チーム力を上げられたとても良い時間だったのかなと思います。民宿の方と打ち合わせした時に聞いた話とは違いましたが、4学年が大部屋1つで過ごしたことで今まで知らなかった色んな後輩の姿も見ることが出来ました。
秋季リーグは敗戦が続き、試合結果に囚われる生活から抜け出したいと考えてしまう瞬間もありました。ですがそれ以上に、人任せではなく責任を持ち点を取れるスパイカーになりたい、もっとボールをあげられるようになりたい、純粋にバレーボールをもっと上手くなりたい、1秒でも長くコートに立っていたいと学生最後のリーグ戦でも思えていた私は、バレーボールに魅了されていたんだろうなと思います。
わざわざ遠くまで足を運んでくれた高校のバレーボール部の同期、Instagramでの配信を見て連絡をくださった中学時代のコーチ、私のバレーボールを好きでいてくれてずっと応援してくれた一貫校に通う後輩。楽しかった日常や技術力の伸び、試合結果ももちろんですが、それ以上に、人の優しさに触れることができました。本当に素敵なご縁に恵まれたと実感しています。
素敵なご縁に恵まれていた私が言うのも贅沢だなと思われてしまうかもしれませんが、正直なところ、この1年間は2度と繰り返したくないと思う瞬間が多すぎたほど苦しかったです。代替わりしてから上半期が終わるまで、どう生き抜いてきたのかわからないです。春休みに練習したはずなのに、記念館でバレーボールをしていたことを思い出せません。
弱い私だったので終わりの見えない業務から逃げ出したい、もうこれ以上は頑張れないと泣いて倒れて練習を休み、携帯の通知を全て消して引きこもった日もありました。選手を辞めてマネージャーとして生きようとしましたが、このチームのエースは美葵ですと言い切る同期、なんとしてもコートに一緒に立ちたいですと本気で伝えてくれる後輩、期待している、応援していると言ってくださる方を失望させてしまう怖さと申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
未来の後輩に主務がプレーでチームを引っ張っていくのは不可能ではないという姿を見せたい、このチームで前例を作れば少しでも希望を生み出せるのではないかと考えていました。選手と主務を上手く両立している他部活や他大学の方はいらっしゃると思いますが、私はそれができませんでした。
最後の早慶戦では本当に多くのお言葉をいただきました。運営は忘れて試合に集中してほしい、去年の方が良かった、あなたの良さが一つも出ていなかった、西村には期待してたのに。おっしゃる通りで、全て私の責任で、何も言い返すことが出来ません。多くの方に足を運んでいただいた舞台を作り上げても、そこで楽しんでもらえる試合ができなかったというのは私のバレーボール人生で1番の後悔です。副務だった帆南には自分の運営力不足で試合に集中させてあげられなかった、と何度も謝られましたが全く違います。あんなにもバレーボールに集中できるように、負担が減るようにと必死でいてくれたのに、私が期待に応えられなかったです。
私の姿を見て無理な両立だったと考える人が増え、可能性を閉ざしてしまっていたら申し訳ない限りです。
暗いような文章になってしまいましたが、1年間を振り返った時に1番思い出す素直な想いです。選手としても、主務としても、胸を張ってやり切ったと言える結果ではないかもしれません。でも、もしあの時別の道を選んでいたら、今よりももっと苦しかったと思います。
話を聞いてくれる未羽や日南、お互いを慰め合い続けた柊や航空部にいる親友、夜中に半泣きで連絡しても私がどんな状況にいても常に味方になり続けてくださった松尾監督。ここには書ききれないほどの沢山の方に支えていただき納会を迎えられました。
改めまして、Team2025にご声援を送ってくださった皆様に心より御礼申し上げます。
今後とも慶應義塾体育会バレーボール部女子チームへのご支援ご声援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
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