男子

バレーボールを愛せたワケ

商学部4年  久保田 健介

絶好調です。

商学部4年 久保田健介です。

12/16(火)に三田で行われた納会にて、慶應義塾体育会バレーボール部を正式に引退いたしました。

降さん(2023卒)に怯えながらボールゲームをしていた1年生の頃の記憶が、ついこの間のことのように思い出されます。本当にあっという間の4年間でした。

毎日のように体育館に通い、ボールを追いかける事が当たり前だった日々にも、ついにひとつの区切りがつきました。

引退という言葉を口にすると実感が湧かない一方で、納会を終えた今、ようやくこの時間の重みを噛みしめています。

ここからは、そんな慶應義塾体育会バレーボール部での4年間を少し振り返っていきたいと思います。(将来自分で見返す用途にも考えておりますので、くだらなく・稚拙な内容のものもあるかと思いますがご容赦ください。)

高校時代、当時の顧問に連れられて全国津々浦々の強豪校と練習試合を重ねる中で(9割方負けでした)、よりハイレベルなバレーボールへの憧れが強くなっていきました。その延長線上にあったのが、慶應義塾体育会バレーボール部でした。

「自分はどこまでやれるのだろう」という力試しと、憧れの気持ちが半々。

そんな想いを胸に、慶應義塾体育会バレーボール部の門を叩きました。

私のデビューは鮮烈でした。

正式に入部してまだ1週間ほどしか経っていない、2022年度春季バレーボールリーグ戦第1戦、相手は当時から格上であった筑波大学です。

第4セット、慶應マッチポイントの場面。正セッターの真古都さん(23卒)が足を攣り、セカンドセッターの晟己さん(24卒)も故障中。そんな状況から、急遽コートに呼ばれました。

サインもまだ完璧には理解していないような状態でしたが、筑波大学のエースでスター選手の柳田歩輝が、当時坊主だった私にビビって(?)サーブミス。

そのままセットを取り切ることができました。完全に私の作戦勝ちです。

緊張で顔面真っ白だった、とかなんとか仰っていた先輩方もいますが、堂々たるデビューでしたね。

こんな華々しいデビューを飾った私ですが、入部後すぐ立ちはだかったものがありました。それは「体育会生らしさ」です。

挨拶さえできれば大丈夫だろう。

そう思っていました。甘すぎました。

学ランの一番上のボタンをきちんと留められず、樋口さん(2023卒)に何度怒られた事か。

練習の準備や片付けも、「やっている感」だけは一丁前で、実際には手を動かしておらず、ネット付近にいるだけ。シモさん(2023卒)に家族飯で何度注意された事か。

挙げ句の果てにはフィリピンの大学との練習試合後の星谷さん集合中に、彼らからお土産で貰ったドライマンゴーを食べ始める始末。

(思い返すと、賢治(林・経2)に強く言えるような人間じゃなかったわ。)

生活態度や立ち振る舞いが叩き直される毎日が始まりました。

また、生活面で手一杯だった私に追い打ちをかけるように、バレーボールのレベルも想像以上でした。

一部のレベルなど色々面食らいましたが、一番衝撃だったのは降さん(2023年卒)ですかね。

高すぎる。高校時代340クラスのスパイカーなんてもちろんおらず、Bクイックなんかレフト平行をあげているような感覚でした。

判断力、打点の高さ、ボールの速さ。

あらゆる面で、大学バレーのレベルをこれでもかというほど「分からせられました」。

こんな人間的にも、技術的にもペーペーであった私も先輩に恵まれました。

特に入部当初から直属のセッターの先輩であった真古都さん(2023卒)や晟己さん(2024卒)は初日から沢山話しかけてくださり、車中泊旅行、サマラン、富士急などたくさん遊びやご飯に連れて行ってくださりました。セッターズのお陰で部にも馴染めました。本当に感謝しています。

お二人の様にスタメンにはなれませんでしたが、割と上手くなれました。最後の年にはJAPANマツダ(松田・商1)の加入により、彼から学べる事とかコツが沢山あってセッターというポジションが面白かったです。

また航希さん(2024卒)、克弥さん(2025卒)は下級生の頃からよく気にかけてくださいました。当時の慶應は高さを活かすバレーをしており、速いトスがなかなかあげられず悶々としていた私を見かねて、自主練習でイカれ速いレフト平行を無限に打ってくれました。

この自主練が、あの頃のバレー部のモチベーションでしたし、この時間があったからこそ、自分なりの「武器」を磨くことができたのだと思います。大感謝です。

全ての思い出を書き始めたらキリがないので、割愛致しますが、他にも可愛がって下さった全ての先輩方に心から感謝しています。先輩っ子すぎて先輩方がいなくなるに連れて、自分の立ち振る舞いが難しくて迷いました。

それでも、4年生になる頃にはお土産はしっかり練習後に手を消毒してから食べる様になりましたし、準備もアンテナくらいは張れる様になりました。

キャラ的に言いづらいですが、後輩に注意する様にもなりました。学ランの1番上のボタン留めない人、意味わかりません。

私も少しは体育会生になれたのでしょう

そんな私にも、転機となる出来事がありました。

それが、1年生の冬に経験した膝の怪我です。

ジャンプトスをした際に痛めたものでした。小学校から長くスポーツをしてきたものの、大きな怪我をした事がなく、当時の私は怪我との向き合い方をまったく理解していませんでした。

高校時代には、怪我をした同期{主に山木(文4)}に対して「運動神経が悪いからだろ」と、今思えば目を覆いたくなるような暴言を吐いていたほどです。因果応報とは、よくできています。

少し痛みが引けば復帰し、再発してはまた離脱する。その繰り返しの末、結果として約半年間、バレーボールから離れることになりました。

悪ガキにつけが回ってきたのだと思います。

その期間で初めて、怪我からの正しい復帰方法を学びました。

トレーニングの基礎から見直し、正しいスクワットのフォームを身につけ、段階的にバレーボールの動きに近い要素を取り入れたメニューへと移行していきました。時間はかかりましたが、一つ一つ積み重ねることで、無事に復帰することができました。

毎日のようにトレーニングに付き合ってくださった三ツ井さん(2024卒)、

また、ご自身も怪我をされていたにもかかわらず、トレーニングやストレッチを教えてくださったワシさん(2023卒)。絶対に読んでいないだろうけど、本当にありがとうございました。

おかげさまで、あれ以降、一度も大きな怪我をすることなく競技を続けることができました。

しかし、無事に復帰できた一方で、実は別の問題にも直面していました。

高校からバレーボールを始め、もともと経験の少なかった私にとって、半年間の離脱はあまりにも長く、トスのあげ方が分からなくなってしまいました。

以前の感覚を取り戻そうと必死になるあまり、気づけば「成長することを楽しむ余裕」を失っていました。

そんな状況の中でも、私が競技と向き合い続けることができたのは、間違いなく仲間の存在があったからです。

練習前後の何気ない会話や、同じコートでボールを触る時間。その今までは“当たり前”の様に感じていた時間こそが、私にとって大きな支えになっていました。

それまでの私は、自分の成長や活躍だけをモチベーションにバレーボールと向き合っていました。

しかしこの怪我をきっかけに、「大好きな仲間とバレーボールをしたい」という想いが、自分を体育会バレーボール部へとつなぎ留める理由の一つになっていた事に気がつきました。

この膝の怪我は、私からバレーボールを奪った出来事ではなく、バレーボールと向き合う理由を一つ増やしてくれた出来事だったのかもしれません。

以降、ピンチサーバーとして起用して頂くこともあれば、正セッターが別ポジションの後輩になることもありました。

たまにセッターとして出場しては手も足も出ずに敗れた試合もあれば、ピンチサーバーとして流れを変えられた試合もあり、もちろん、思うようにいかなかった日もありました。

振り返れば、成功と失敗を行き来しながら、本当にさまざまな経験と感情を味わった4年間だったと思います。

それでも、どんな状況にあっても変わらなかったのは、大好きな先輩、後輩、同期と同じ体育館でバレーボールをする時間が、何よりも楽しかったということです。

その時間を噛み締めながら競技を続けた結果、私は何があってもバレーボールを嫌いになることなく、むしろ「大好きなまま」引退の日を迎えることができました。みんなに大感謝です。

ここまで長々と自分語りをしてきましたが、最後に今まで関わって下さった、私にバレーボールを愛させてくれた方々へ感謝の言葉を述べさせていただきたいと思います。

星谷さんへ

納会でのスピーチの後「思ってもいないことを、顔が本気じゃない。」と仰っていましたが、、
思ってます。そうゆう顔なんです。

本当に、初めての頃は怖くて喋りづらいなと思ってましたし、本当に、「当たり前・いつも通りを発揮する」難しさについて考えさせられ、向き合った経験は星谷さんがいなければできなかったと思っています

バレーボールだけでなく、人間としても成長するきっかけを頂いた4年間は俺の人生の財産です。本当にありがとうございました。

ただ、星谷さんの言う通り、まだまだ“小さい人間”です。

もう少し、人として成長して大きな人間になれたら、その時はまたお話しさせてください。
卒業後もFlow Do It.で頑張ります。

同期へ

支え合い、沢山笑わせてくれた最高の同期だった。
なのでほとんどの同期はこれからもたくさん会うと思うので感謝は直接伝えます。

ただ入来(環4)はカリスマになるから、なかなか会えないと思うのでここで。

同期で唯一試合に出て、重い重圧を背負っていたと思う。そんな中でも入来なりにチームを考えて、エースとして引っ張ってくれて感謝と尊敬です。(仮病でサボっていた日もあっただろうけど)頑張っていた事、伝わっていました。

今までお疲れ様でした。YouTubeで入来を見れる日を楽しみにしている。

先輩方へ

前のパートでも書かせていただきましたが、生活態度も、技術面も、全て未熟だった私を“体育会生”にしてくださったのは、間違いなく先輩方でした。見放すことなく、時には叱り、時には呆れながらも面倒を見続けてくださったこと、感謝しかありません。

今思えばもっと怒鳴られていい後輩だったと思います。こんな後輩を面倒見てくださり、本当にありがとうございました。

4年間頑張ったのでご飯連れて行ってください。

後輩たちへ

大学入るまで後輩とあまり喋った事がなかったから、上手くコミュニケーションが取れるか正直不安だった。けれど、みんなめっちゃ喋りかけてきてくれて嬉しかったし、後輩しかいない4年生の期間も凄く楽しかった。ありがとう。

立派な背中を見せられたかは分からないけれど、「一緒にバレーボールを楽しむ仲間」ではいられたと思ってます。これからもみんなが心からバレーボールを愛して、全力でプレーできる事を願ってる。

リーグ戦、早慶戦は行けるか分からないけれど、慶関戦は久保田・平山(商4)母応援団で参戦します。なので是非、慶関戦を1年のピークに仕上げてきてな。

また慶應湯で星谷さんの好きなところ山手線ゲームしよう!

山下さん(SFCバレー部前監督)へ

もっと山下さんにバレーを教わりたかったです。

けれど、山下さんがいたから体育会に入って、最高の仲間と出会えて、高いレベルで大好きなバレーボールをする事ができました。ありがとうございました。

山下さんとバレーボールをできたあの2年間は、俺の人生の中で最高にワクワクして、楽しい時間でした。

また飲みにいきましょう!

両親へ

「他の同期は引退後に親へ感謝のLINEいれてるらしいわよ。」ってわざとらしく催促していましたが、よそはよそです。

ですが、生まれてこの方、好きな事を好きなようにやらせてくれた事、感謝しています。普通のことではないのでしょう。大人になるに連れて理解してきました。

これは今後の私の活躍で返しましょう。これまで通り、口を挟みすぎず見守っていてください。

久保じいへ

耳が遠すぎて直接言っても伝わらないと思うので、文字に残そうと思います。

なんとなく、「じいじも喜ぶかもな」と思ったのが、バレーボールを始めた理由の一つでした。だからこの4年間俺がバレーをしている姿を見る事が、少しでも余生を謳歌するイベントになっていたのならば嬉しい限りです。

わざわざ遠くの試合にまで杖つきながら見にきてくれてありがとう。

この4年間の全ての思い出が愛おしいです!

全力で笑って、悩んで、バレーボールと向き合い続けた、大好きな人たちと同じコートに立てた、その時間が一番の宝物です。

慶應義塾体育会バレーボール部。
4年間、最高の経験をありがとう。

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このページをシェアする

当サイトは、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。
推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。
セキュリティを向上させるため、またウェブサイトを快適に閲覧するため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。
このままご覧いただく方は、「閉じる」ボタンをクリックしてください。

閉じる