男子

流した涙は最後に愛になった

商学部4年  平山 一之心

4年間お世話になりました。
商学部4年の平山でございます。
この場で「商学部1年の」と挨拶をしていた事を昨日の事のように思い出します。そんな私も引退しました。

5/118試合。
4年間を通して、私がリベロとして公式戦に出場した試合数です。この数字が示す通り、私の体育会生活は決して平坦なものではありませんでした。最高の景色を見た瞬間もあれば、プライドと現実の大きな隔たりに苦しんだ日々もありました。幸せも、喜びも、そして逃げ場のない苦しさも、すべてこの4年間の中にありました。同時に、勝利に徹底的に拘る組織の中で生きることの面白さと残酷さの両方を学びました。結果がすべての世界で、自分の価値を問い続けられる日々。
そこで得た経験は、競技を超えて、私の考え方や価値観そのものを大きく変えてくれました。
数多くの経験を経て、私が流してきた涙は、最後には後輩たちからの「愛」という形で返ってきたように感じています。それは、結果以上に、この4年間が無駄ではなかったことを証明してくれる出来事でした。

本稿では、この4年間で私が経験したこと、
そしてその経験から得た価値観や考え方を、最後の活動日誌として記していきたいと思います。
少々長くなりますが、以下の三章立てで綴ります。
①私自身の変化
②同期への感謝・後輩への想い
③両親への感謝
読者の多くは、私の関係者、そして先輩・後輩の皆さんだと思います。
この文章を、どうか温かい目で私の心の内を覗くような感覚で読んでください。
そして後輩の皆さんには、ひとつの教訓として、必要な部分だけを持ち帰ってもらえたら幸いです。

①私自身の変化
体力、精神、そして思考の限界を何度も越え続け、自分自身と向き合い続けた4年間でした。間違いなく、人生の中で最も自分を鍛え、壊し、そして作り直した4年間でした。
「結果を追い求める人間から、過程に意味を見出す人間へ」
「自分の正しさを信じる人間から、他者の多様性を受け入れる人間へ」
「組織の中で『何者かになろう』とするのではなく、『今、自分にできる役割は何か』を問い続ける人間へ」
この4年間は、確実に私の視点と視座を引き上げ、価値観・考え方を研ぎ澄ませました。

かつての私はずっと守られた世界で生きてきました。幼稚園から高校まで、決まったコミュニティ、決まった環境。大きな挫折もなく、困難も少なく、正直に言えば「勝ち誇っていた」と思います。井の中の蛙でした。バレーボールでも、中高6年間試合に出続け、自信だけは人一倍ありました。
その全てが、体育会の門を叩いた瞬間に音を立てて崩れました。想像の及ばないレベルのプレーと圧倒的な差。自分の立ち位置を、容赦なく突きつけられました。同時に、これまで経験したことのない、「組織」の中で、自分がどう在るべきなのか分からなくなりました。気づけば、自信という名の拠り所は、何一つ残っていませんでした。
それでも残された道は一つだけでした。這い上がること。ただそれだけ。プライドが顔を出すたびに、自分に問い続けました。「恥を書く勇気もない人間でいいのか」と。答えはいつも、胸の奥で静かに首を横に振り、私の推進力となりました。
技術は稚拙で、大学トップレベルには程遠い。だからこそ、練習をすればするほど伸びる感覚が楽しかった。試合期間、メンバーには入れなくても、試合前の準備、仕事、ワイピングに全てを懸けました。コートに立てなくても、チャンスが来た瞬間に飛び込める場所に居たい。その想いだけで、必死に食らいついていました。
2年次の全日本インカレ、愛知学院大学戦。リベロとして初めてコートに立ったあの瞬間。恐怖も緊張も、なぜかありませんでした。ただ、楽しかった。心の底から、楽しかった。
中央大学の山本涼選手に褒めていただいたことは、今でも私のバレーボール人生の中で最も輝く記憶です。
そして、一木の笑い声。
私が何度もディグをした時、ビデオに残っていたあの楽しそうな声。自分のプレーが、一緒に走ってきた同期の努力まで報いる瞬間があるのだと、
初めて知りました。あの笑い声を、私はきっと一生忘れません。

けれど、その先で私は立ち止まりました。
有頂天になり、努力を辞めました。そのツケは、引退まで残り半年という、最も向き合いたくないタイミングで返ってきました。試合前日に発表されるメンバー表。見たくなかった。分かりきった現実を突きつけられるのが、怖かった。それでも、「もしかしたら」という、情けないほど小さな期待を抱いて、毎回誰よりもドキドキしながら画面を開いていたと思います。そこに「平山」という文字が無いと分かるたび、自分の心が少しずつバレーボールから離れていくのを感じました。
「まあ、どうせ俺なんてな」そう思えば、楽でした。逃げれば、心は軽くなりました。でも、何も残らなかった。「頑張れ」という言葉さえ、当時の私には重りのようにのしかかりました。それが期待だと理解できるほどの余裕は、ありませんでした。
けれども、私は体育会の4年間をただの思い出としてではなく、辛い時に返って来れる、誇りとして語れる軌跡に昇華させたかった。この想いを取り戻せたのは母校の「自分に厳しく人に優しく」という校訓のおかげです。その想いを胸に、自分に厳しくその環境で咲こうと踠きました。限られた時間の中で、選手と話し、視点を盗み、弱点と向き合いました。誰かが欠ければ代わりに入り、
新しい風を起こそうと振る舞いました。やがて芽生えたのは、「そんな想いでやるなら、俺と代われよ」という反骨心でした。チャンスが当たり前ではないことを身をもって知っていたからこそ、恵まれた環境に気づかず、チャンスを手放す姿を見るのが、悔しかった。

それでも私を最後まで繋ぎ止めてくれたのは、後輩たちでした。何気なく話しかけてくれたこと。
役割や価値について語り合えたこと。練習終わりの慶應湯で散々笑い合ったこと。あの時間がなければ、私はどこかでポッキリと折れていたかもしれません。

最後に、正直に書きます。私は、弱かった。チャンスはありました。でも、それを掴むだけの準備も、覚悟も、足りなかった。この弱さに最後まで勝てなかった。それでも、確かに残ったものがあります。
①奇跡とチャンスは諦めないやつの頭上にしか降りてこない、という事。
②準備とは、実力・運・コンディション、すべてが下振れても、それ以上は落ちない場所を決めておくこと、という事。
③迷った時は、後悔ではなく納得できる選択をし納得できる努力をする事。
傷ついたからこそ、得られた学びでした。
この4年間を、私は誇りに思います。

②同期への感謝
私がここまで走り抜ける事ができたのは紛れもなく同期の存在があったからです。自主練習する時も、下級生としてチームの方針に疑問が生まれ役割を見失い涙した日も、練習後にお風呂に入って笑い合った日も、疲れ切ってご飯を食べる日も最上級生としてチームの方針について話し合った日も必ず横にいたのは同期でした。そういう日々が楽しくて、ここまでやってこれた。同期がいなかったらとっくに辞めていたし、バレーボールも嫌いになってた。バレーボールから気持ちが遠のく日があっても部活から気持ちが離れていく事はなかったのは、同期に恵まれたからです。何を言わずとも絶対的に自分の味方である、そう感じさせてくれる同期で良かった。

康生
同じポジションは一見するとライバルに見えるかも知れないけれども、感覚的には2人で1つだった。そう思えたのは康生がリベロ未経験の俺を受け止めて、同じ視座で向き合ってくれたからだと思う。そして最後1年間、最高のキャプテンだった。常にチームの事を考えていた事は同期の俺が1番わかってる。その姿を尊敬していたよ。多くは言わないけど特に俺に対しては康生自身も辛い立ち回りが多かったと思う。キャプテンの立場もあろうが、けれども仲の良い同期で、いっぱい考えて関わってくれたんだろうな。その愛は十分に伝わったよ、ありがとう。

入来
同じ状況してきた身だからこそ、入来のしんどさや苦労はわかっているつもり。そんな中でも、絶対的な自信を持って奮闘する姿勢は尊敬していました。そして実際にその自信が武器になって形となって、最後1年間は獅子奮迅の活躍だった。スパイカーの道を諦めた身として、同期がスパイクを決めてくれる瞬間がとても誇らしかった。後輩達からも試合中に「もういないのか」と1番思われる存在だと思う、羨ましい。この代の期待を背負ってくれてありがとう。

山木
4年間ありがとう。山木の高い視座と広い視野、絶対に人の悪口を言わない性格の良さに救われていた。Bチームで山木に段トスをあげて「山木!!」と叫ぶ瞬間が本当にかけがえのない楽しい時間だった。そして主務を引き受けてくれて、ありがとう。あの時、引き止めて良かった。自分の言葉に責任を取れる気がしなかったから、言うのが怖かった。けれども、あの時素直に思った事を口にして俺は正解だったと思う。お前とバレーができて幸せだったよ。ありがとう。

久保田
ずっと俺のそばにいてくれてありがとう。落ち込んだ時には健介の底なしの明るさに触れたくなる、そんな不思議な魅力があった。趣味嗜好が通じるところもあって、一緒に話すのが楽しかった。自主練、慶應湯、遊び、全て誘っても快く「いいよ、行こう」と受け入れてくれて、本当に救われていた。一緒に練習してきた仲間だったからこそ、試合で活躍する度に自分の事の様に嬉しかった。もうあの頃の日々が戻らないと思うと寂しいけど、健介のおかげでめちゃくちゃ楽しかった。ありがとう。

一木
一木と出会って俺は本当に変われた。仕事をやり抜く覚悟と責任を学んだ。泊まりに来た時、夜遅くまでデスクライトだけを頼りに仕事する背中を見ていて、一木のこの努力に応えたいと思った事を覚えてる。それから練習に拍車がかかったよ。下級生の頃は2人でたくさんチームの事を話した。後輩ができた時も「先輩は偉い訳じゃなくて、教える責任があるだけ」だという価値観が一致した事は衝撃だった、だからこそ同じ目線で物事を捉えられたんだと思う。ずっと話を聞いてくれて、ありがとう。

河村
正直この4年間は大変な時期の方が長かったと思う。未経験で入部して男が大半の世界、俺ならそこに足を踏み入れる勇気は出ない。歩奈の勇気と部活に対する想いを尊敬する。早慶戦もめちゃくちゃ楽しかった。紆余曲折があったのだろうけど、それを見せず選手がプレーに集中する環境を影から作ってくれて、結果我々選手はとても良い想い出ができました。選手達の「早慶戦だけは特別」という想いを汲み取って、カタチにしてくれてありがとう。

後輩達へ
この体育会の時間でしか、できない経験があります。だからこそ、遠慮せず、全部やり切ってください。
曲げたくないプライドにぶつかること。
価値観が真っ向から衝突すること。
時間をかけて、量を積み上げること。
自分の考えに磨きをかけること。
物事を、もうこれ以上ないところまで突き詰めること。
きっと苦しいし、正直、面倒くさい。逃げたくなる瞬間もある。でも、ここでしかできないです。これより後になるとお金が絡んでしまいます。そうなる前に、自分で考え、動き、責任を取る。誰かに引っ張られるんじゃなく、自分の足で前に進める人間になる。その土台をこの場所で作ってください。
今はまだ、自分から動くことに抵抗があるかもしれない。流れに身を任せていた方が、楽だと思う人もいると思います。それでも、どうか一歩踏み出してほしい。体育会で過ごすこの濃密な時間は、自分を変えるための最高の環境です。使うかどうかは、自分次第です。大変かもしれない。
でも、変わる勇気を持った人にだけ、これまで見えなかった景色が、必ず見えるようになります。
この時間を、人生の中で一番濃い時間にしてください。

③両親
この4年間、バレーボールを続けてこられた理由を考えると、努力や根性、仲間の存在など、いくつも思い浮かびますが、最後に行き着く答えは、どんな時も両親が支えてくれていたという事実です。
精神的にも、体力的にも、そして金銭的にも。環境を整え、言葉をかけ、黙って見守り続けてくれた存在があったからこそ、僕は逃げずにここまで来ることができました。何より、人としての考え方を、人一倍鍛えてくれたのも二人でした。
試合に出られない時期でも、遠い会場まで毎回足を運んでくれましたね。正直、自分がコートに立てない中で応援席に両親がいることが、少し恥ずかしくて、申し訳なくもありました。けれど、そんな感情さえ見透かしていたかのように、二人は何も気にせず、いつもと同じ明るさで声をかけてくれました。その姿に、何度も救われた気がします。
「親は恩返しなんて求めてない。親が与えるのは愛情であって、見返りじゃない」
この言葉をかけてもらった時、心がふっと軽くなりました。誰かのために頑張らなければならないのか、とずっと抱えていた疑問がやっと解消された瞬間でした。体育会という組織の為ではなく、感謝を伝えるためでもなく、自分自身のために、迷いなくバレーボールと向き合えるようになりました。
苦しい時期が始まった頃、帰省した車の中でのお父さんとの会話も忘れられません。多くは語らないけれど、同じ体育会出身者として、すべてを理解した上で投げかけてくれたあの言葉。あれは励ましというより、僕の中に溜まり続けていた感情を、代弁してくれたような時間でした。気づけば涙が溢れていて、あの瞬間、辛さが涙に変わり、少しだけ前に進めた気がしました。
そして、毎日寮に帰る道すがら、お母さんにかけていた電話。ただ話を聞いてくれる存在がいること、考えの捌け口になってくれる人がいること。
何も否定せず、必要な時にだけ指針となる言葉をくれたあの時間が、今の自分を形作ってくれていたのだと、今になって強く思います。
振り返ってみると、この4年間を支えてくれていたのは、特別な言葉や出来事ではなく、当たり前のように注がれていた大きな愛でした。
本当に、ありがとうございました。
これからは社会人として、今までとは違う形で、少しずつでも親孝行をしていきます。
まずは、胸を張って次のステージに進む姿を見せることから始めます。

文字通り、全てが繋がっていたバレーボール。それはプレーとしてだけでなく、考え方や生き方という私の人生とも繋がっていました。

ボールを落とさないための、ほんの一瞬。その刹那に研ぎ澄まされる感覚と数多の思考が交錯する世界に魅了され、気づけば10年間、バレーボールと共に生きてきました。輝いた時間も苦しい時間もありました。この10年間の全てを振り返って、今残っているのは幸せだったという実感。この経験を与えてくれた環境と人に、心から感謝します。本当にありがとうございました。
俺に愛をくれてありがとう。

平山一之心、第二章開幕です。

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