女子 #日記

商学部4年  倉員 未羽

平素よりお世話になっております。
Team2025女子チームの主将を務めさせていただきました、商学部4年の倉員未羽です。

昨日の納会を持ちまして、正式に部を引退いたしました。
3年前、当時1年生の私にはまだまだ先のことに思えた引退を迎え、無事にペナントを受け取ることができ、主将という責務を全う出来たことに安堵しております。

今後、このブログを書くことがないと思うと少し寂しい気持ちもありますが、主に最後の1年を中心に体育会生活を振り返らせていただきます。
拙くまとまりのない文章ではございますが、最後までご一読いただけると幸いです。

 

主将を務めたラスト1年、本当に楽しかった。

とは言いきれません。
もちろん楽しい瞬間もたくさんありましたが率直に、きつかったです。
何がきついか考えると、山ほど浮かび上がってきますが大きく1つ「不安」がありました。

昨年度から得点源であったサイドアタッカーが全員残り、セッターも変わらない。
このチームが3部に上がれないはずがないと。3部昇格を確信していました。

しかし、チーム始動後初の練習試合では、春リーグ最終戦の相手に全敗。
さらにその後、当時6部の相手に全敗。

Team2025はここから始まりました。
ただ、1月の時点で負けを経験したことは今思えばチームとしても非常に大きな影響力を持っていたのではないかと感じています。
全員が自分たちを過信することなく危機感を持ち、負ける悔しさを知ることができたから、3部昇格をかけた埼玉大学戦では、フルセットの末にしっかりと勝ち切ることができたのだと思います。

最終結果としては、
春リーグで3部昇格、秋リーグで3部9位で残留を果たすことが出来ましたが、練習や練習試合を積み重ねる中で感じる細かい連携ミスや各選手の調子の変化など、挙げだすとキリがないほど沢山の不安がありました。その不安を少しでも減らし自信をもって試合に臨むために練習し、練習し、練習する。課題と向き合い続け、解決するためにはどうすればいいのかを考え続ける作業は絶対に怠りませんでした。

 

良く人からポジティブだねと言われますが、違います。心の中はネガティブ思考で埋め尽くされています。
でも、ネガティブは他人に伝播します。チームを引っ張る人間が誰よりもチームと仲間を信じなくてどうするんだと奮い立たせる選択肢しかありませんでした。

「絶対勝てる、絶対昇格できる、絶対に。」

これはすべて、私の本心であり、本音ではありませんでした。
私が私自身を騙すための言葉でした。

 

最終戦の後に後輩たちからもらったアルバムやお手紙の中に、ほぼ全員から書かれていたことがありました。

「未羽さんのように自信をもって~」
「未羽さんは明るくて強くて~」

ただ、皆が思っているような人間ではまったくありません。
私は本当に弱いんです。
そしてその弱い自分が大嫌いです。
だから、大丈夫と自分に言い聞かせ、強くあろうとしなければと必死でした。

 

メニューノートの背表紙に書いていた言葉があります。

主将として
・自分のことだけを考えない
・誰の行動にも理由がある、一方通行の意思表示はしない
・弱さは見せない
・“達成できないかも”ではなく“達成できる”を信じ続ける
・笑顔と声を忘れない

この5つをしっかりと出来ていたかは私には分かりません。
ただ、ここまで律して感情を切り離さなければ「私自身」を保てませんでした。

 

でも、私が最後までこのチームを愛せて仲間を愛せてこんな自分を愛すことが出来たのは、綺麗ごとでもなんでもなく4年を慕ってついてきてくれる心から愛おしいと思える素敵な後輩たちがいてくれたからです。

勝てないかもと焦った時も、チームの成長の実感が持てず悩んだ時も、そんなことは考えずに笑顔でボールを追いかけていたみんながいました。
特にリーグ期間は自分たちの練習時間も少なくなって、もどかしい気持ちや4年への不満など、人それぞれ色んな想いがあったはずなのにそれを必死に隠して、ただ全力でバレーしていたみんながいました。

この子たちが楽しくバレーを出来ているなら、私はこの子たちのためにも勝って、もっと楽しいと思ってもらわないと、と。
特に最後の2ヶ月は、それだけが私の原動力でした。
早くこの責任から逃れたいと思い続けたと同時に、みんなが笑顔になれる環境をずっと作ってたい、ずっと見てたい、ずっと一緒にバレーしてたい。と思えるようになってました。

何をしてても可愛いし愛おしいんです。
練習前後に後輩同士で楽しそうにわちゃわちゃ話しているのを見ているだけで、幸せでした。
練習前に眠そうにしているのも、絶対に疲れてないとおかしいはずのトレーニング後に楽しそうに歌って踊ってる姿を見るのも、ただ黙々と真面目に壁パスしている姿を見るのも、全部が全部私の原動力でした。
みんなと出逢えて、一緒にバレー出来て、幸せでした。
心から、ありがとう。

 

また、この1年だけでなく4年、いや10年お世話になった2人がいたから私は乗り越えてこれました。
この人たちなら何を言っても大丈夫と心から思える同期に出逢えて、本当に幸せでした。
前衛にいれば点を取ってくれて、後衛にいればボールを落とさず拾ってくれる頼もしすぎる2人のおかげで、バレーが本当に楽しかったです。
この4年間、それぞれいろんなことがあって、泣きながら色んなことを話したけど、やっぱり最後の1年が1番濃くて特に最後の群馬戦は本当に悔しかったと同時に楽しかったね。
心から、ありがとう。

 

そして、私の4年間を語るには避けてはいけないのがTeam2024で過ごした1年です。

それまでの私は、自分で言うのもおかしな話ですが、「自分に厳しく他人に厳しく」の人間でした。
小中高と主将を経験したこともあり、「誰かのミスは私の責任」になるのが当たり前でした。特に覚えているのは小学生の時、チームメイトがコーチの指示を聞き間違えたことによって、私が怒られ「帰れ!」と言われたこともありました。このような経験は自分自身の価値観に大きく影響し、常に完璧を求めていた気がします。

ただ、昨年度の先輩方はいい意味で私の価値観を崩してくれました。

自分がどんな姿を見せても、絶対に大切にしてくれる守ってくれる。そんな安心感と絶大な信頼がありました。
私の少しの表情の変化に気付き、寄り添ってくださいました。決して同情はせず、優しく道を示してくださいました。
何があったって誰が何を言おうとも、先輩として、人として、心から尊敬できる方々でした。
部員の中で練習後ジュースを買っていただいた回数はおそらく圧倒的トップのはずです。
本当にありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

 

最後に、私を誰よりも支えてくれて、応援してくれた家族へ。

私は姉がいなかったら体育会入部はおろか、バレーボールもしていませんでした。
幼い頃から運動神経が良くなんでも器用にこなす姉は嫉妬の対象でしたが、いつからかその嫉妬は尊敬に変わり、私にとって最強かつ最恐の姉でした。

姉が4年、妹が1年にいる環境で当時の先輩方からはやりにくかったというお声もいただきました(何回か練習前に喧嘩していったせいで、ご迷惑をおかけした先輩方、大変申し訳ございませんでした、、。)が、それでも最初で最後の半年間、一緒にプレーできたことが嬉しくて仕方ありませんでした。
私にとって初めてで、姉にとって最後の早慶戦で同じコートに立たせていただけたことは、1番の想い出です。

3年前に部を引退してからも、私がチームのことを考えすぎるがあまり、自分のプレーがおろそかになると、それをしっかりと指摘してくれて、プレーに対してアドバイスをくれて、ずっと支えてくれていました。

そして、ほとんど毎試合観光もできるからと試合を見に来てくれていた母、試合を見に来てくれた時にはみんなのプレー写真を撮影してくれた父。
家の自室で泣いてるとちょこんと横に座って見守っててくれる愛犬。

14年間応援し続けてくれてありがとう。

 

 

バレーボールを通じて、数えきれないほどの「愛」をいただきました。

初めてバレーボールに触れた8歳の私には到底想像もつかないような幸せな「愛」で溢れた14年間でした。

 

バレーボールの楽しさと、日本一を目指す厳しさを小学生時代に教えてくださった宇賀田監督・コーチ

規律を重んじて人間性を磨いていただいた、杤堀先生、林さん、吉村さん、宙さん

バレーに向き合う環境を整えてくださった、松尾監督、宮本トレーナー

技術面で沢山支えていただいた、丸谷さん、本多さん

大変お世話になりました。

 

今まで、関わってくださったすべての皆様に、この場をお借りして感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。

 

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