男子

1年間見てきた文字

商学部3年  熊谷 健太

お世話になっております。商学部3年、中等部コーチの熊谷健太です。

秋の深まりとともに気温も下がり、いよいよマフラーの季節が近づいてまいりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
最近、読書の秋に便乗して久しぶりに、昔から大好きな『ハリー・ポッター』シリーズを読み返しています。紙の本ならではの重みや温度があり、情報がより深く染み込むように感じます。お時間のある方は、ぜひスマホではなく紙の本を手に取ってみてください。

さて、本日は今年1年間のスローガンであった「PRIDE」について、私自身の視点から少しだけお話ししたいと思います。
「PRIDEとは何か。」
この問いは、ホワイトボードに書かれ続けたその文字を1年間見つめてきた私たちにとって、決して軽いものではありません。康生さん(法4)が繰り返し伝えてくださった“慶應義塾体育会バレーボール部の一員としての誇り”とは何なのか。
ふと立ち止まったとき、その答えは恥ずかしながら容易には見つかりませんでした。
気づけば、この言葉と共に過ごす時間も残りわずかです。代が一区切りを迎える今だからこそ、1年間で感じてきた“PRIDE”を、自分なりに一度言葉にしておきたいと思い筆を取りました。最後までお読みいただけましたら幸いです。

この一年を経て、私はPRIDEを『どんな自分でいたいかという“基準”と、そこから逃げない姿勢のこと』だと感じました。
PRIDE=プライド=誇りと捉えると、どうしても「スマート」や「自信家」のようなお高くとまったイメージが先に浮かびます。しかし、この一年で自分が考えてきたのは、その逆でした。本当に大切なのは外に対する格好つけではなく、内側の自分の在り方だということです。どんな状況でも自分が守りたいと思えるライン。そこから逃げない姿勢こそが、私にとってのPRIDEだと感じています。

どんな自分でいたいかという基準は、周りに誇示しなくても成立します。もちろん、発信することで自ら逃げ場をなくすというやり方もあるでしょう。しかし、その発信は諸刃の剣だと思います。下手すればそれは誇示になり、虚栄を張ることになりかねません。他人の目を気にし自分を大きく見せるためだけのPRIDEは本質から外れてしまっています。むしろその心の持ちようを注意された時に即座に直せない、素直さの欠如にもつながります。

外部的な見栄ではなく内部的な軸こそがPRIDEだと僕は思います。したがって、真のPRIDEを持つ人は一見非効率で、言ってしまえば「ダサい」とも取れるような行動でも自分が大事にしている軸と照らし合わせて必要だと感じれば全力で取り組むでしょう。「そんなことやる必要ない、面倒だ」と考える前に基本に立ち返り、逃げない姿勢こそ、PRIDEの持ち主なのではないでしょうか。

と、ここまで書いてきて自分の文章に既視感を覚えました。どこかで読んだことがある文章を自分は書いている気がしました。
これは一木さん(法4)の僕も大好きな活動日誌「脱!オシャレバレーボーラー」に込められた想いと似ている部分があるように勝手ながら感じました。こう言うと一木さんは否定するかもしれませんが、大事な部分が似てきたのかもしれません。
一木さんが夏の段階で示されていたその姿勢に、私はようやく今年の終盤になって追いつきかけているだけなのだと思います。言葉ではなく、所作や準備や積み重ねで示すPRIDE。それを背中で見せ続けてくださった先輩方と同じチームで過ごせるのも、残りほんのわずかです。当たり前のように見ていた光景が、いつのまにかかけがえのない時間に変わっていました。先輩方が示してくださった在り方を来年以降も繋いでいけるよう、まずは一緒に過ごせる最後の日々を丁寧に紡いでいければと思います。

さて、PRIDEの横に最近追加された「全日本インカレまであと〇〇日」の数字も、最近は寂しいほどに小さくなりつつあります。噛み締めて振り絞って、この日々を全力で駆け抜けたいと思います。応援のほど、何卒宜しくお願いします。

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