日頃よりお世話になっております。
経済学部2年アナリストを務めさせていただいている三浦安慈と申します。
寒さがどんどんと増す中、皆様いかがお過ごしでしょうか。
最近の私は一木さん(法4)と清水(総2)に「二十歳になってから態度が大きくなった」や「偉そう」とよくいわれています。二人なりの二十歳のお祝いと捉えつつも年齢や学年関係なく謙虚で誠意のある行動を今一度心掛けてまいります。
突然ですが、こだわるということはどういうことなのでしょうか?最近、散歩している時にふと思いました。よく職人や料理人などの独自の工夫などに使われていて、私の座右の銘も「勝ちにこだわる漢たれ」とつかっています。家の辞書でひいてみると漢字で書くと「拘る」と書き、また二つの意味が出てきました。
一つ目の意味は「ある物事に強く執着して、そのことだけは譲れないという気持ちを持つ。」です。これは一般的に使われている意味合いで普段人が使う「こだわる」の意味ではないでしょうか。私自身の座右の銘もこの意味合いで使用しています。
二つ目の意味はどうでしょうか。2つ目の意味は「気にしなくてもいいようなことが心にかかる。気持ちがとらわれる。」です。もともと昔の日本ではこの意味合いで使われていたそうで、それが転じて一つ目に紹介した意味合いで使用されるようになったそうです。これは一つ目の意味に比べてネガティブな表現だといえます。
この二つの意味合いはどちらもある事柄に対して執着するという意味を含んでいますが、その事柄の内容でポジティブな意味合いとネガティブな意味合いに変化していると思います。つまりこだわる事柄が重要なのです。一つ目でいう事柄は今の自分の行動、次の試合や練習など現在から未来に起きること、自分で変化させられるもので逆に二つ目でいう事柄は前の試合や昨日の練習などの過去に起きたこと、自分では変えられないものであると私は思いました。またこれは今年のチームスローガンであるPRIDEとも関係があると思います。誇りを持って取り組むからこそ、自分の行動に責任を持ち、細部にこだわり、より良い準備や努力を積み重ねようとします。PRIDEがあるから、人はこだわろうとするのです。
では今の自分はどうでしょうか。こだわるべきものをこだわることはできているのでしょうか。またこだわらなくていいものにこだわっていないでしょうか。私の勝利に対するこだわり方は正しいといえるのでしょうか。改めて自分に問い直し、日々の行動を見つめ直したいと思います。
最後になりますが、塾バレー部は秋季リーグ、全早慶明を終え、いよいよTEAM山元最後の大会である全日本インカレに向けて日々練習を続けている真っ最中です。昨年は別会場に偵察を行っていたため4年生の引退をみることができなかったのですが、今年はありがたいことに初日からチームに帯同できるので1日でも長くTEAM山元で活動できるよう、自分自身がアナリストとしてできる最善の準備に努めてまいります。
乱文失礼いたしました。