日頃よりお世話になっております。
環境情報学部2年の岩間祥成と申します。
朝晩は肌寒さを覚える頃となりましたが、皆様におかれましてはお変わりなくお過ごしでしょうか。
我々塾バレー部では、星谷監督の掲げる行動指針の一つに「思考の言語化」があります。部員は日々、指定されたペアと練習の前後にそれぞれ「課題の共有」と「課題のフィードバック」を行っています。私自身もこの取り組みを通じて言語化の力が高まり、今自分がどう感じているのか、何をすべきなのかをより鮮明にイメージできるようになりました。言葉にすることは、自らの思考を整理し、相手との認識を揃えるために欠かせないものだと実感しています。
しかしその一方で、私は「言語化しないこと」も大切なときがあると感じます。言葉で全てを説明しようとすると、本当に伝えたい想いが弱まったり、相手の考える余地を奪ったりすることがあります。あえて余白を残すことで、相手が自分なりに解釈し、能動的に「拾う」姿勢を持つことができます。そこに言葉を超えた理解が生まれるのです。
バレーボールにおいて、「言葉にできない領域」は少なくありません。コート上では、声だけでなく目線や雰囲気から伝わるものがあり、時にはトスを呼ばなくてもトスが上がるような感覚があります。また、「今この選択をしないとなんか負けそう」などといった直感的な判断は、理屈ではなくコート上の空気や感覚に影響されています。そうした瞬間は言語化されなくても、自然にチーム全員に伝わり、プレーに反映されていきます。さらに、試合での喜びや悔しさといった感情もまた、言葉にしきれない部分を含んでいて、それがそのまま胸に刻まれるからこそ次の挑戦への力になっていくのだと思います。
もちろん、言語化しないほうがいいというわけではありません。言語化は自分の考えを整理し、他者と共有するために不可欠であり、その力はこれから先どんな場面でも役に立っていくと思います。しかし稀に、言語化しないほうが良いこともあるということです。直感や感情のように言葉に変換した瞬間に薄れてしまったり、相手の解釈に委ねたほうが深く伝わったりするものです。つまり、大切なのは、言語化と非言語化を状況によって使い分けることだと思います。そのバランスを意識することが、より豊かなコミュニケーションや強いチームづくりにつながっていくのだと私は考えます。
私はいずれにおいてもまだ完璧とは言えませんが、塾バレー部での時間を通じて少しでもレベルを上げれるよう日々精進してまいります。
乱文失礼いたしました。