男子

足りない

文学部2年  玉島 弘之

日頃よりお世話になっております。文学部2年の玉島弘之と申します。
9月に入り、少しずつ暑さも和らいでまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか。私は最近、松田(商1)から勧められた「SLAM DUNK」を楽しんで見ております。私もバスケットマン桜木花道のように、バレーボールマン玉島弘之として熱き心とバレーへの愛を忘れずにリーグ戦を戦い抜きたいと考えております。

ついに秋季リーグが開幕しました。塾バレー部は初戦と第2戦を戦い抜き、連勝を収めることができました。夏の鍛錬期に磨いてきたつなぎが随所に見え、一部復帰に向け良いスタートを切ることができたように思えます。
そんな中で私は、試合にかかわる14人のメンバーから外れ、上から応援をすることで試合を見届けていました。この夏まで塾バレー部に所属していた留学生のAntoineが残してくれた太鼓とともに、選手一人一人に向けた応援歌を届けました。どちらの試合も塾バレー部の勝利に貢献することができたと自信を持って言う事ができます。
しかし、素直に言えば、悔しい気持ちでたまりませんでした。途中出場した岩間(環2)や井上(経1)の活躍に喜びながらも、自分もコートに立っていたいと強く思っていました。それは、私の中ではトレーニングにも練習にも自分の中ではしっかりと取り組めていたと思っており、自分の成長を実感することもできていたからです。これを機に、自分に何が足りないのかを見つめなおしていました。これはどのスキルが必要かという話ではありません。私はどのスキルにおいてもまだまだ足りない側ですので、そればっかり考えてはきりがありません。ここでは自分の練習に対しての姿勢、考え方の話にあたります。
そこで気づいたことは、私は練習の過程に満足してしまう傾向があるという事です。それは、どれくらい自分の課題を意識して練習することができたか、練習量をこなしたかを中心に考え、結果はあまり気にしない、ということです。結果にとらわれない、ということは悪いことではないでしょう。それはメンタルトレーナーの辻先生が提唱した「ゆらがず、とらわれず」の心理状態“フロー”に近しいものだとも捉えられるからです。しかし、ここで私が気づいたのは、結果を追求することと、結果にとらわれることは違うということです。それと同時に、結果を出すという事は結果にとらわれるという事と紙一重だということにも気づくことができました。なぜなら、結果を追求すれば、そこには何かしらストレスがかかり、かつ失敗すれば少なくともマイナスな気持ちが生じそうになってしまうからです。そして、この心理状態は試合に最も近しい状態といえるのではないでしょうか。この緊張状態の中での練習が、まさに本質的な練習といえるのだと思いました。この考えが私には足りていなかったのです。これからの練習では、この思考を忘れずに取り組んでいこうと思います。
最後にはなりますが、リーグ戦は長い道のりです。大勢の人々に支えてもらっていることに感謝し、4年生と必ず一部復帰を果たしてみせます。そして、そのために私も自分に足りないものを追究し成長してまいります。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

それでは失礼します。

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このページをシェアする

当サイトは、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。
推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。
セキュリティを向上させるため、またウェブサイトを快適に閲覧するため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。
このままご覧いただく方は、「閉じる」ボタンをクリックしてください。

閉じる