日頃よりお世話になっております。
経済学部2年アナリストを務めさせていただいている三浦安慈と申します。
9月に入り少しずつ心地よい気温に向かっている中、いかがお過ごしでしょうか。
最近の私は高校時代からの友人と映画「鬼滅の刃」を見に行きました。原作を見たことがなくほとんどの登場人物の名前もわかりませんでしたが、とても感動的な映画でどんな人にも辛い過去があると思うとどんな人にもやさしくできる気がしました。この心を忘れずに努めて参ります。
さて本題に入らせていただくと、今回は私が忘れていたと思ったものについて書かせていただきます。それは自分も他の人も自分勝手に選択をしていることです。具体的には自分が好きだから勝手にバレー部のアナリストをやっているということです。それに気づいたのは他のスポーツをやっている友人と昼食を食べながら近況をお互いに報告していた時でした。その時ふと何故そのスポーツを始めたのか、何故続けているのかという話になりました。二人の理由は単純でそのスポーツが楽しそうだから始めて、そのスポーツが楽しくて好きだから続けていました。
しかしその友人は「好きだから勝手にやっている」という言い方をしました。この時に私はこの勝手という言葉に気づかされました。私はバレーボールが好きだから勝手に大学でもアナリストとして続けていることにです。もちろん私はバレーボールが大好きです。当然嫌いだったら大学でも続けてはいないでしょう。しかし好きであっても続けない選択もできるはずです。つまり続けるという選択は自分が勝手にしているのです。そしてその選択をした人たちが集まってバレーボール部となっているのです。
大学に入ってからの私は自分の考え方と違うものを受け入れようとしていませんでした。しかし私が勝手に選択したことを他の人も同じように勝手に選択しているのです。その選択をするまでの考えや過程が違うだけで、同じ選択をしているのです。相手の考えを受け入れないということは相手の選択を受け入れないということになってしまいます。これでは自分が勝手にした同じ選択を受け入れられなくても何もいえないでしょう。お互いの選択を認めることで集団が成り立っているのです。今までの私は相手が私の勝手な選択を受け入れていることを忘れていました。私の勝手な選択を受け入れてくれている人に対しての感謝、そしてその人の選択を受け入れる力が足りていませんでした。また私は誰に指示されているわけでもなく好きだから勝手にアナリストをやっているのです。自分が勝手にやっているからには責任があるということに再び気付かされました。
さて今週、秋季リーグが開幕いたします。沢山、お世話になった4年生と戦う最後のリーグになります。寂しい気持ちでいっぱいではありますが、この秋にこの4年生と一緒に1部に上がりたいです。そのために自分自身、感謝と責任を忘れずに「PRIDE」を持って戦っていきたいと思います。
今後ともご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願いいたします。
乱文失礼いたしました。