男子

誰かにとって俺は悪者

商学部4年  平山 一之心

お世話になっております。
商学部4年の平山です。

最後の春季リーグを終え、引退という文字が頭をよぎり始めております。何度も述べていますが、どこにいても何をするにしても後悔のないようにやり切りたいと思います。

今回の活動日誌では、読んだ人が心を軽くし、思い切って自分の道を進めるようになれば良いなと願い執筆します。
①「全員に好かれる事」は不可能であるという現実の受容
②信念を持って生きる事の重要性
この2点を伝える事ができれば幸いです。

「どんなに良い人間でもきちんと頑張っていれば、誰かの物語では悪役になる」という言葉を耳にしたことがあります。自分が一生懸命に何かに打ち込んでいたとしても、その熱量を理解されないことがあるでしょう。誠実なリーダーであれば努力を怠らず前へ進んでいきますが、その動きに遅れた誰かを置き去りにする事があるかもしれません。悪気はなくても、悪意だと思われ100%肯定される事はない、そういうものです。

私はこの言葉を聞いた時に不思議と心が軽くなり、自分が信じる道を突き進めば良いんだと改めて認識しました。もともと私は、過剰に他人の評価を気にする性格ではなく、自分なりの価値観や信念に従って行動することを大切にしてきました。しかし、それでも周囲との関係性の中で、自分の言動が誤解されたり、時に否定的に受け取られたりすることもありました。そんなとき、「自分は間違っていたのだろうか」と迷いや戸惑いを覚えることもあったのです。

この言葉は、そんな迷いに一つの明確な視点を与えてくれました。どれほど誠実に努力しても、誰かにとって自分の存在が不都合であったり、対立の原因に見えたりすることは避けられない。むしろ、本気で物事に向き合っているからこそ、必然的にそうした摩擦が生まれるのだという事実を、私は静かに受け入れることができました。

それ以降、私はより確かな気持ちで、自分が信じる道を進めるようになりました。他人の目や評価に過度にとらわれることなく、自分の価値観に基づいて選択し、行動することができています。一方で、他者の意見を否定するわけではなく、自分とは異なる考え方を尊重し、必要に応じて柔軟に変化する姿勢は大切にしています。信念を持つことと、他者に耳を傾けることは、両立できるものだと感じているからです。

この経験を通じて、私が伝えたいのは、「どうか他人の目を恐れずに、自分の信じる道を歩んでほしい」ということです。たとえ誰かにとってあなたが“悪者”のように映ったとしても、それはあなた自身の物語における誠実さを否定するものではありません。自分の信念に正直に生きることこそが、人生において最も価値のあることなのだと、私は今、確信しています。
これを読んだ人の気持ちが少しでも軽くなれば良いなと願い、終わります。

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