平素よりお世話になっております。
本年度主将を務めさせていただきました、商学部4年の渡邊大昭と申します。
幾度となく書かせていただいた活動日誌も今回が最後の活動日誌となってしまいました。私は活動日誌が現役部員のリアルや想いを感じとることができるものだと考えていて、みんなの活動日誌を読むことがいつも楽しみでした。文豪かのようなどんどん読みたくなる文章力に圧倒され、自分の番にどんなことを書こうか毎回必死に考えておりました。私はみんなのような綺麗な文章で自分の気持ちを表現することは難しいかもしれませんが、最後の活動日誌を綴らせていただきます。長くなりますが、よろしければお付き合いください。
私がバレーボールを始めたきっかけは小学校4年生の時でした。私は周りよりも身長が高く、母がバレーボール経験者だったこともあり、仲の良かった幼なじみと一緒に遊び半分で始めたのを覚えています。チームには浅野翼選手(早稲田大学バレーボール部4年)や山元快太選手(日本体育大バレーボール部3年)が所属しておりました。小学生ながらレベルの高さに圧倒され、苦しい練習に耐えながらもなんとか彼らに追いつこうと必死に練習していました。彼らとの出会いは最大限にバレーボールを楽しむには強さが必要であり、一生懸命練習することが大切だと気付かされました。自分の目標やモチベーションを保つことが難しい大学でも折れずに真剣に練習できた1つの要因は各チームの主力で活躍する彼らの存在があったからだと思います。
中学校に進学後は、バレーボールを共に始めた幼なじみと中学校で出会った仲間たちと全中出場を目指して日々練習に励んでおりました。平日は朝練と放課後の練習、夕飯を食べてからの夜練。土日は高校と練習試合や合宿など、毎日バレーボール漬けでした。何度も何度も涙を流し、心身共に本気でバレーボールに打ち込んできました。辛いこともたくさんありましたが、仲間たちや先生方に助けてくれたからバレーボールを続けることができました。
そしてこれから私の人生の転機を迎えます。
高校の進学先を迷っていた時、所属していたクラブチームの監督から慶應義塾高校を提案されました。当時の月刊バレーボールで春高初出場の特集が掲載されていて、文武両道を体現している慶應義塾高校の存在を初めて知りました。両親と共に神奈川県の慶應義塾高校を訪問し、私は練習に参加させていただきました。自分たちが主体となって練習していく姿に憧れを抱き、親元を離れ厳しい環境で自分が成長するために慶應義塾高校に入学を決意しました。慶應義塾高校への進学を後押ししてくれた我妻先生、門脇監督、高崎中学校の先生方ありがとうございました。
入学後は、勉強と部活動の両立に加え、慣れない1人暮らしなど大変苦労する毎日でした。当時授業に全くついていけず苦しんでいましたが、先輩方や同期に勉強を教えてもらい、なんとか卒業することができました。またインターハイ初出場、2度の春高出場など様々な経験をさせていただきました。特に2年生時に奇跡のような春高出場を決めたあの瞬間は、バレーボールをやっててよかったと心の底から感じました。3年生時での最後の春高ではベスト16という結果で終わってしまいました。
東京体育館で最後上がってきたトスを打ち切ることができず、非常に悔しかったことを覚えています。高校引退後に声をかけてくれた島田先輩(24卒)のお誘いもあり、高校での悔しさを晴らすべく入部を決心しました。
大学に入学直後は、度重なる怪我により思うようなプレーができずにいました。なぜ目の前に台があるのにそのまま突っ込んでサーブを打ってしまったのか、、、捻挫地獄はここから始まったのだと思うと、本当に後悔しております。怪我から復帰後の練習も総合練に入れることが少なく、ボールに触れる時間が圧倒的に足りませんでした。1時間前に来て準備をしてサーブを打ち、全体練習が終われば自主練でスパイクを練習して、サーブを打っての繰り返しでした。夏休みはオリンピックの関係で日吉会堂で練習することが多く、朝から晩までずっとバレーボールをしていました。試合に出場する機会が少なかったので、なんとかチームに貢献できないか、チームに必要とされている役割は何なのかを常に考えて練習していました。1年生として、全力で声を出し、先輩方のサポートに尽くすことしかできませんでしたが、先輩方と夜遅くまで一緒に真剣に取り組みながらも笑いが絶えなかった自主練の時間は本当に楽しかったです。また先輩たちと一緒にバレーがしたいです。
2年生時は初めての経験が多かったシーズンでした。春季リーグ戦で初めてスタメンとしてコートに立ち、私にとって初めての関東一部での勝利でした。なんとOHとしてです。驚きました。デビュー戦の筑波大学さんとの試合では、25%サービスエースを取られてしまう苦すぎるデビュー戦でした。そして最後の全日本インカレ。エースの怪我、度重なるアクシデントで迎えた大会でした。先輩方の引退試合で、コートに立っていた初めての試合でした。私の目の前に落ちた最後の1点。その1点で先輩方が引退してしまった。1点の大きな重みを知った瞬間でした。たくさん練習を積んでも、練習のための練習では意味がない。試合の状況、環境、雰囲気を作って試合のための練習をしなければいくら練習しても試合で力を発揮することは難しいことを身をもって痛感した試合でした。
3年生時は、1年間を通して関東一部リーグで戦い続けたシーズンでした。上級生として何か意識的に取り組んでいたことがあるかと聞かれたら、先輩たちに全力でついていった。それだけかもしれません。チーム事情によって、ポジションがコンバートされながらも慶應の大エースとして全てのボールを打ち切ってくれた松本先輩(24卒)。アツイ心とアツイ胸板、バレーボールに対する姿勢もアツク、後輩からの信頼もアツイ。精神的支柱であり縁の下の力持ちのアツイ漢、大槻先輩(24卒)。チームの愛され役であり、静かに闘志を燃やし続け何事にも努力を惜しまなかった西山先輩(24卒)。選手たちを支えてくださり、どんな時もチームを同じ方向に向かせてくださった今田先輩(24卒)、厳先輩(24卒)、立川先輩(24卒)、三ツ井先輩(24卒)。
そして、私の理想の主将像であり、誰よりもバレーボールを愛し、誰よりもバレーボールを楽しみ、私たち後輩に希望を与えてくれた、航希さん。 1年間を通して関東一部で戦い続け、史上最多6回の早稲田大学との試合など例年と違ったシーズンでした。先輩たちについていったこのシーズンはとても楽しかったです。
そして自分たちの代が始まり、主将として、4年生としてチームを背負う責任とプレッシャーを日々感じていました。結果は皆さんご存知の通り、春に二部降格。秋には入替戦に出場することができず、先輩方が作り上げてくださった関東一部という舞台を後輩につなげることができませんでした。この1年間、正直なところ本当にバレーボールが嫌いになりそうでした。練習に行こうと玄関を出ようとした時に、練習にいっていいのかと考えてしまったり、プレー中に自分の体が思うように動かなくなったり。本当に自分が主将で良かったのか、自問自答する毎日でした。秋季リーグ戦が終了し、このチームで一部復帰が叶わなかった現実が受け止めきれませんでした。それでも練習にいくと、全力でバレーボールを楽しみ、私の悩みなど吹き飛ばしてくれる後輩たちや同期がいました。リーグ戦が終わってから、全早慶明、慶関戦と徐々にチームの状態が上がっていき、チームがひとつになっていくように感じていました。毎日成長していくみんなを見て、このチームでよかったと思いました。
そして最後の試合。相手は早稲田大学。会場は高校時代も引退した東京体育館。まさに運命なのだと思いました。
これまでお世話になった方々みんなの思いを背負って戦った試合でした。ですが、私は最後までコートに立つことはできませんでした。試合中に怪我をしてしまい、途中退場。痛みよりも悔しさで涙が止まりませんでした。
そしてチームは敗戦。私たち4年生は引退してしまいました。救急車で結果を知り、こんな終わり方があるのか、引退した解放感は一切なく、みんなに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。手術を終えた私はそのまま入院することになりました。その入院期間で、すごく嬉しかったことがありました。チームのみんなや先輩方が私にお見舞い来てくれたことです。みんな私がお腹を空いていると思ってなのか、2メートルのミドルブロッカーが私を太らせようと呼びかけたのか分かりませんが、タコスをくれたり、マックナゲットを100個くれたり、牛丼特盛を2つくれたり、毎日1人はミスドをくれたり。大量のサトウのご飯とご飯のお供をくれたり。アーモンドフィッシュやニボシをくれたり。 だいすきなお菓子をくれたり。太りすぎないように特茶をくれたり。1人で寂しいと思ったのか、一緒にUNOやトランプをしてくれたり、Netflixのプリペイドカードをくれたり。美容に気を遣ってくれたのか、顔パックや乳液、ビタミンジュースをくれたり。私の入院生活は怪我の痛みがありながらも、このチームでよかったと思える瞬間でした。
最後にお世話になった皆様に、改めて感謝の思いを伝え、最後の活動日誌を示させていただきたいと思います。
OBOGの皆様へ
私たちが何不自由なく本気でバレーボールに打ち込めたのは、皆様のご支援、ご声援のおかげです。4年間本当にありがとうございました。
藤澤総監督へ
藤澤総監督がいなければ、私は今頃主将を辞めていたかもしれません。試合が終わるたびに、気さくに話しかけてくださりありがとうございました。藤澤総監督との硬い握手と優しい言葉に何度救われたか分かりません。支えていただきありがとうございました。怪我を今すぐ治します。
星谷監督へ
4年間大変ありがとうございました。星谷チルドレンとして、戦ったこの4年間。入部した時には、私はクロスにしか打てなかったのですが、今ではプッシュやリバウンドができるようになりました。守備でも魅せるプレーが今年は多くなったのかなと思います。技術のご指導に加え、柔軟な考え方やバレーボールを楽しむことの大事さを教えていただきありがとうございました。星谷さんが納会で教えてくださった、「人間万事塞翁が馬」のように、この経験がいつか身を結ぶことを信じて頑張ります。
池野谷コーチへ
1年生から2年生までの2年間ありがとうございました。私が掲げたゴールに対して、バレーボールの動画や野球、ゴルフなど他のスポーツの動画などユニークな視点からヒントをくれるご指導がすごく楽しかったです。3,4年生ではなかなか体育館で会うことが少なくなってしまい、プライベートの方が会っていたかもしれません。ミスした時にみんなの顔を伺ってしまい、どうすればわからないと相談した時にくれた言葉は忘れません。ありがとうございました。
宗雲先生へ
7年間、私を陰ながら支えていただきありがとうございました。 宗雲先生が私を慶應義塾に入れてくれたと勝手に思っています。宗雲先生の忠告を守っていたらこんなことにはならなかったかもしれません。 最後まで私の怪我を心配してくださり、大変ご迷惑をおかけしました。宗雲先生からいただいたカーネギーの「人を動かす」を読んで、社会人でTOPになれるよう1度しかない人生を歩んでいこうと思います。
渡辺先生へ
渡辺先生と出会って、私の人生は大きく変わりました。先生についていけば春高に出れる、上手になれる。必ず答えに導いてくれる先生です。高校でも大学にいってもたくさん相談に乗っていただきありがとうございました。また萩の月をもっていきます。みんなで会堂に顔出しに行こうと思うので、待っててください。
お世話になった先輩方へ
自分で言うのもあれですが、真面目で面白くない後輩だったと思います。そんな僕を暖かく支えてくださりありがとうございました。毎年何をするかわからない早慶戦での大応援が無くなってしまうのが寂しいです。先輩方の応援が大きな力になりました。これからもご指導よろしくお願いします。卒業までにまた先輩たちと飲みに行きたいです。
後輩たちへ
こんな練習意味あるのとか、なんでこんな優しいんだよとか不安や不満ばかりかけてしまったかもしれません。それでも全力でついてきてくれてありがとう。個人個人にはメッセージで伝えた通りです。これからの慶應義塾体育会バレーボール部をよろしくお願いします。 本当にありがとう。
家族へ
12年間、僕のバレーボールを応援し続けてくれてありがとうございました。私のやりたいこと、好きなことを全力で応援してくれてありがとう。特に神奈川に1人暮らしを始めてから迷惑ばかりかけたと思います。大会があるたびに宮城から車でかけつけてくれて応援してくれたことが嬉しかったです。先日の納会をもってバレーボール人生を終えることとなりました。これから少しずつ恩返しをしていこうと思います。今後ともよろしくお願いします。
塾高の同期へ
みんなと過ごした3年間が僕を強く大きく成長させてくれました。ありがとう。毎回早慶戦や全日本インカレでは応援に来てくれてありがとう。次集まるのは春高だと思うので、みんなで後輩たちを応援しましょう。歩けるようにリハビリ頑張ります。
同期へ
一真(細野・経4)は真面目で僕たち同期が暴れて乱れてる時に冷静に場をまとめてくれてありがとう。スタッフから選手への転向、主務業など大変だったと思うけど、粗相なく終えていて流石です。またいつか一真の西のトスを打ちたいです。
まさ(山本・文4)がまさか学連委員長になるとは思いもよりませんでした。塾高時にはいろいろありましたが、こうしてまた場所が違えどチームで戦えて嬉しかったよ。おれも試合前のまさとのグータッチが楽しみだった。
克弥(内田・環4)はみんなに優しくて、誰よりも努力を惜しまない自主練の鬼で、後輩たちから克弥みたいになりたいと思われるのはすごく羨ましかったです。また港区でバレーしにいこう。
陽大(田鹿・法4)は本当に尊敬してる。莫大な量のデータをもとにチームの指揮をとる。学生では考えられません。その勇気と行動でどっちが主将なのかわからない時もありました。副将として支えてくれてありがとう。
祐介(芳賀・環4)と国体で戦った時、ドリームマッチで同じチームになった時、大学で同期になった時、印象は変わらずデカくて長くて自由な子でした。1年生の集合には平気で遅刻するし、夏バテで休むし、荷物は持っていかないし。本当に自由でした。でもこの4年間で日本代表に選ばれ、後輩たちやチームを引っ張る存在になって頼もしかったよ。本当は祐介がSVリーグで活躍する姿が見たかったよ。4年間慶應の顔として戦ってくれてありがとう。
この私のバレーボール人生を振り返り、仲間たちに恵まれたバレーボール人生でした。
慶應義塾体育会バレーボール部に入部して本当によかったと思います。
4年間お世話になりました。
今後とも慶應義塾体育会バレーボール部への応援よろしくお願いします。
乱文失礼しました。
当サイトは、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。
推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。
セキュリティを向上させるため、またウェブサイトを快適に閲覧するため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。
このままご覧いただく方は、「閉じる」ボタンをクリックしてください。