男子

夢中

法学部法律学科4年  田鹿 陽大

絶好調です。
本年度副将を務めました、法学部法律学科4年アナリストの田鹿陽大です。

先日行われた納会で正式に塾バレーボール部を引退させていただきました。伝統ある体育会において高いレベルの環境に身を置けたこと、私自身大変誇りに思います。そして星谷監督が「お疲れ様」は疲れの強要だと言い放ち、今では慶應バレー部の象徴ともいえる挨拶となった「絶好調」。試合に負けた後、心の中が暗く落ち込んでいても、星谷監督と話す前に「絶好調」と口に出すと、本当に少しだけ、気持ちが明るく前向きになれた気がしました。先日の納会を境に、この挨拶ができなくなると思うと、寂しさを覚えるとともに引退を甚だ実感いたします。(星谷さん。社会にでてもこれ、やっていいんですか…?)

先日の納会でOBの方に「この4年間はどんな4年間でしたか」と問われ、私は返事に詰まりました。あれだけ濃密な日々を過ごしてきたはずなのに。あの日々を私は忘れてしまったのだろうか?最後の活動日誌でこれまでのバレー人生を簡単に振り返ると共に、この問いに対して自分なりに答えを出そうと思います。少々長くなりますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

『出会い』
私がバレーボールと出会ったのは中学1年生の頃です。小学校では剣道をしていましたが、「到底かなわないような強い奴が入部する」という噂に流され、たまたま見学しに行ったバレーボール部に入部しました。それは同時に、同期の山本(文4)、後輩の山元(法3)、山木(文3)、熊谷(商2)、稲井(法1)らという将来一緒に全力で球を追いかける仲間との出会いでもありました。今思えばネガティブな理由での入部でしたが、我ながら最高の決断をしたなと一抹の後悔もありません。

当時のコーチは中等部野球部出身の吉村達比古先輩(18卒)で、声出しや走り込み、バレーならワンマンやスパイクワンマンと、技術向上よりは根性中心の指導をしていただきましたが、全員が同じ球を追いかけ点を取るこのスポーツの魅力に、私はいつしか惹かれていました。

『成長と転機』
高校でも気が付いたらバレーボール部に入部していました。振り返れば高校バレーは私の人生の転換期でした。大学バレーを共にする仲間との出会い、ハイレベルなバレーボールのセオリーの獲得、競技者として・人間としての成長、そして“体育会という選択肢“。中学時代よりも厳格な行動規範、上下関係のもと、ハイレベルなバレーボールに関わったからこそ今の私があるのだと思います。そんな私ですが、プレーヤーとしては鳴かず飛ばずの存在でした。スタメンとして出場させていただいた数少ない試合でも定着のチャンスをことごとく失い、自分の歩んできた道を疑う事さえありました。

そんな中、喜びや達成感を見出せたのは球出しやアドバイスといった「他人の成功に携わる瞬間」でした。自分がスタメン相手に何百何千と球を出した成果が試合で表れたその瞬間、結果を出した選手と同じくらい嬉しくて仕方がなく、涙を流した瞬間さえありました。その頃から、「組織への貢献の仕方は1つだけではないのではないか。自分にしかできない組織への貢献の方法を模索しよう。」と、そう思うようになりました。ちょうどその時、濱本先輩(22卒)に体育会バレーボール部でアナリストをしてみないかというお誘いを受けました。アナリストなら絶対に、チームに最高の熱量で最高の貢献ができる。私はそう思い躊躇なくアナリストになる決断をしました。

『田鹿陽大になれ』
「バレーボールのスペシャリスト」アナリストとは何かを聞かれたら、辞書的な意味で私はそう答えます。トッププレーヤーのプレーを何回も確認し、多くの知識やセオリーに触れ、選手と意見交換をする事でその理論の実用性や限界を深めていく。そうした試行錯誤を繰り返す、まさに「スペシャリスト」なのだと。

ただこの普遍的な意味の「アナリスト」がこの組織の中で貢献できるかと自問したとき、私の出した答えはNOでした。パソコンに向き合い、データを出し監督や選手に客観的事実を伝えるアナリストとしての作業では、土日しか来られない監督・コーチ陣や、個性が強く頭の良い選手たちが所属し、一歩間違えば全員が違う方向を向いてしまう危険をはらむ塾バレー部において貢献することはできないのではないか。プラスアルファで自分にしかできない事をしよう。ただのアナリストになるのではなく、田鹿陽大になろう。そう考えました。

情熱をもって選手たちを率いてこのチームを変えたい。その想いが強くなり、ラストイヤーは副将に立候補しました。スタッフとして副将を務めるというのは前例もなく、当初は意気高らかにこの部を率いると豪語していました。しかし、蓋を開ければ春季リーグで惨敗、入替戦で2部に降格。組織的にも競技的にも失敗続き。「おれって何なんだろう。」「存在価値はどこにあるんだ。」と気を病む事が増えました。秋季リーグでは落とすことが出来なかった試合を2試合とも落とし、気負ったからなのか坊主にしていました。1部への挑戦権すら失ったあの瞬間は、4年間の中で最もどん底に突き落とされた瞬間でした。

そんな時私を支えてくれたのは「当たり前を超えろ」というスローガンと「バレーボールに命を懸けろ」という濱本先輩の言葉でした。まさに自らの当初の目的に立ち返り、力の源泉に触れるかの如く心が暗闇から解き放たれ、力が漲ってきました。落ち込んで開く事さえ億劫だったパソコンと向き合い、夜遅くまでデータを確認しプランを考え、ローテーションを練る。完璧なプランを基に、情熱をもって選手たちを導く。タイムアウト中も常に明るく今必要なことを伝える。あの辛く暗かった春秋リーグを抜け、全早慶明・慶関戦・全日本インカレではこの1年で最もチームが一丸となり爆発することが出来ました。そんなチームの中で情熱と理論を掛け合わせ、副将としてアナリストとして、上下左右から組織に貢献する。当初思い描いた理想像とはかけ離れていたかもしれませんが、確実に田鹿陽大になれた気がしました。

周りから見ても私はそうなれていたでしょか?自分だけの価値を発揮できていたでしょうか。そうであることを心から願っています。

『感謝』
ここまで私の活動日誌を読んでくださりありがとうございました。
最後に今まで関わってくださった方々へ月並みではございますが感謝を述べさせていただき、この日誌を締め括りたいと思います。

“星谷監督へ”
4年間お世話になりました。星谷さんと話をする時間がとても好きでした。私が持っていない高いレベルの知見、柔軟な発想、多様性を受け入れる心。視野の狭い私に広い視野を持たせ多角的な考え方を教えてくださったのは間違いなく星谷さんでした。そして何よりも、私の戦術に対して物を言わず、一任してくださった事が何にも代えがたい信頼の証だと捉え、折れずにここまで頑張ることが出来ました。本当にありがとうございました。

“池野谷コーチへ”
1、2年生の頃、大変お世話になりました。将来どういうアナリストになればいいのか悩んでいるときに、親身になって話を聞いてくださり、日々の積み重ねを大切にするという事をお話ししてくださった事を今でも覚えています。あの時の言葉がなければ今の自分はありません。改めて、本当にお世話になりました。

“両親へ”
10年間、僕のバレーボールを応援し続けてくれてありがとう。プレーで応えることはできなかったけれど、自分が関わっているチームを気にかけ、応援してくれたことが嬉しくて堪りませんでした。10年間本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。

“先輩方へ“
今考えると激ヤバ後輩だったなと大いに反省しています。あの時の僕を許容してくれたからこそ今の僕があります。そして最高学年になった今、後輩に田鹿がいたらきっと許せないなと、先輩たちの懐の深さを痛感しています。本当にありがとうございました。またご飯でも行きましょう。

“後輩へ”
面倒くさい先輩だったと思うけど、ついてきてくれてありがとう。僕から皆が学ぶこと以上に皆から僕が学んだ事の方が多かったよ。ありがとう。皆はこれから、心からバレーボールを愛してほしい。そして命を懸けろ。簡単にできる事なんて誰かにやらせておいて、辛い事をやり抜いてほしい。皆の活躍を心から願っています。

“同期へ“
アナリストという立場上、嫌なことばかりを言って気を悪くさせてしまったことが多かったと思う。本当にごめん。文句ばかり言うくせに、いざという時は皆のプレーに救われてばかりで自分の無力さを嘆いた。皆がいなければ、僕の仕事は成り立たなかったと思うしこんなにも素敵な経験をすることはできなかったと思う。今度はみんなで一緒に試合に出たい。ベンチから見た、皆の楽しそうな笑顔は僕の宝物だから。最高の4年間をありがとう。

“アナリストのみんなへ”
今まで一緒に活動してくれてありがとう。5人全員が個性豊かにそれぞれの武器を生かしている姿を見ると、これからの塾バレー部を安心して任せられるなと思えた。
特に一木、鍬塚。どこまでも自分勝手で融通が利かない先輩だった僕に、最後までついてきてサポートをしてくれてありがとう。2人がいなかったら今頃膨大な作業量を前に爆発していた(笑)。皆なら大丈夫、慶應をさらなる高みへと導ける。どんなことがあっても仲間を信じて、胸を張って頑張れ。

この4年間、間違いなく僕はバレーボールに夢中でした。4年間を形容する言葉が出てこないのは決してネガティブな理由ではなく、今その瞬間を必死に過ごしてきたからだと思います。オフも部活外の時間もバレーボールについて考えた、最高に辛く最高に大変で最高に楽しい日々でした。バレー部での日々はまるで夢の中にいるように儚く幸せな時間でした。

こんな最高な夢はもう見ることはできないでしょう。ありがとう、二度と訪れることのない最高の夢。

“夢中” への1件のコメント

  1. 大昭叔父 より:

    田鹿さん、10年間『絶好調』でした!貴方が坊主にした理由を知る事ができました。辛い思いをしていたのですね。大昭とともにお礼を言わせてください。本当にありがとうございました。😭

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