男子

今日はめでたし

文学部4年  山本 昌岳

日頃より大変お世話になっております。
学連委員を務めておりました、文学部4年の山本昌岳です。
本格的な冬と訪れを感じさせるような寒さとなって参りましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。本年も残りわずかとなりましたので、どうぞお身体にはお気をつけてお過ごしください。

さて、この度私どもは先日の納会を持ちまして正式に慶應バレー部を引退いたしました。4年前、熟慮に熟慮を重ねた末、幾許かの不安を抱きながらも揺るぎない覚悟を固めて入部の門を叩いた日を思い返すと、この慶應バレー部で過ごした日々が泡沫のように過ぎ去ってしまったことを切に実感いたします。そんな儚くも充足感に満ち溢れた時間を振り返るとともに、お世話になった方への感謝を述べて、私の活動日誌の締めくくりとさせていただこうと思います。

時は10年前に遡ります。私は慶應義塾中等部に入学をしてすぐに、特段迷うこともなくバレー部への入部を決意しました。当時私がバレー部を選んだ理由は、申し上げるのも恥ずかしいほど酷いものですが「土で汚れたくなかったから」でした。入部後程なくして、世の中には土で汚れるよりももっと辛いことがあるということをコーチをされていた吉村達比古さん(18卒)から叩き込まれ、4月早々に部活後に自宅の風呂場で脚が攣って泣きそうになりながら、本気で退部を検討したことは良い思い出です。

しかしながら、その辛さなどすぐに楽しさが凌駕するようになりました。未経験ながら始めたバレーボールの楽しさに早くして気づけたことは、やはり当時の指導者陣の豊富さに尽きると思います。とりわけ吉村さんに教わったこと・成長させていただいたことはもはや計り知れず、その一つ一つが今の私の根幹を成していると言っても過言ではありません。他にも杤堀さんをはじめとする教師の先生方、社会人にも関わらずご指導を賜った林さん、吉村さんを継ぐ形でご指導いただいた大学生コーチの皆様。私が思うに、これだけ指導体制が充実していた中等部バレー部を選択したことが、バレー人生における原点にして最大の幸運だと自覚しております。須く、厳しい瞬間も多々ありましたが全て糧。中学当時からそう思えるほどに素敵な3年間を過ごすことができました。それともう一つ、絶対に欠かすことのできない出会いもございます。田鹿陽大(法4)です。現在に至るまでの10年間、まさか最後まで同じ組織に所属するとは夢にも思っておりませんでしたが、もはや一連托生の友でございます。

月日が経ち、私はそのまま慶應義塾高等学校に進学して同様にバレー部の門を叩きました。バレー以外に選択の余地は無く、仮入部などの一切の手順を排除し入学初日に本入部届を提出した為、顧問の渡辺先生にも若干引かれていたような気さえしておりましたが、推薦組を除く同期のうち入部が最も早かったということは密かな誇りであったりします。

ここでも、かけがえないのない3年間を過ごすこととなります。トップレベルのバレーボールの凄さをまざまざと見せつけられた1年目、弱者なりの努力と工夫を尽くして成功体験を得ることの味を覚えた2年目、そしてなにより信頼とは何か・責任とは何かを身をもってして痛烈に学んだ3年目。それらの体験全てが私という人間をより強固で、そして盤石なものへと鍛え上げてくれました。それと同時に、ご存知の方もいらっしゃるかもしれない3年目に犯した大きな誤ちに対する反省と贖罪の念が体育会に所属する私の最も根源的な原動力ともなりました。

高校の部活を引退し、大学生活の過ごし方に悩みを抱えていた時、一つ上の先輩である今田さん(24卒)から学連委員という役職の勧誘案内が飛び込んできました。今し方申し上げた通り、私は高校3年次に自らが犯した誤ちへの反省とその償いをする場を模索しており、学連委員ならばそれを果たせるのではないかと入部を決意いたしました。この想いは今日に至るまで一瞬たりとも、そして微塵も揺らいでおりませんし、4年前に入部を決意したその判断は間違いではなかったと胸を張って叫べます。

さて、体育会バレー部の一員として学連の活動を始めてからは楽しさと難しさという二律背反の連続でした。普通の学生生活では味わえない規模の仕事の数々。そこには当然大きな責任がつきまとうわけですが、私にとっては責任の重みなどいくらあっても負担にはならず、むしろ重ければ重いほどやり甲斐を感じることができ、のめり込むように学連の仕事に没頭するようになります。しかし同時に、没頭すればするほど周りとの温度差が広がっていくという難しさも常に付き纏いました。組織の実体は須らく人間であり、組織における仕事ということの本質は全て人と人とのコミュニケーションに端を発するということを知識ではなく実感として理解をさせられるとともに、まさにそのコミュニケーションに大きな問題を抱えているのが学連という組織であるという実態も受け入れざるを得ない事実でした。なによりの構造的な問題として、構成するメンバーの属性が多種多様すぎるということ。大学も違えばこれまで歩んできたキャリアも全く異なる人間で構成される学連は、よく言えば十人十色ですが言葉を選ばずに言えば烏合の衆と言わざるを得ず、仕事への向き合い方や自らが負っている責任に対する捉え方、あるいは向上心や目的意識。ありとあらゆる場面で周囲との温度差や意識の違いに葛藤を抱き続け、果ては星谷さんに泣きつく形で数時間に渡って夜中にZoomで相談をさせていただくといったこともございました。と、このように「仲間のことを烏合の衆と言い放ってしまうような私」が難しさを生み出している正体そのものであることに気づくまでに、まさに4年間という大学生活を丸々捧げるという形で、私は引退を迎えるにいたっております。この真意は言葉で語るとそぎ落とされてしまう気がしますので、共感していただける人生の諸先輩がおられましたらただただ頷いていただければ幸いです。

そして、私の学連としての活動において欠かせない悩みがもう一つ。納会でも言及させていただいた、私の前任でおられる軍司さん(22卒)の最後のご発言です。(https://keiovb.com/blog/2517/)この日誌にも書かれておられる塾バレー部への後悔の念というものは、まさに呪いの如く私の心に住み着き続け、学連委員という私の立場における塾バレー部への最大の貢献とは何かというものを問い続けることに繋がりました。この自問自答の日々は本当に苦しく、投げ出してしまいたくなるようなほどの大きな問いで、人知れず押しつぶされそうになったこともございます。そして最後に導いたこの大きな問いに対する私なりの結論は「慶應の学連は日本一」を体現することに他なりませんでした。そして、誠に皮肉なことにこの結論も軍司さんが既に見出されておられ、同じ日誌において語られていました。以下、引用です。

「スタッフはもちろん、試合に出ていない部員がチームの勝利を本気で信じて自分の役割を全うする慶應の雰囲気はどこにも負けないと感じます。」

まさに、この一文に尽きると思います。そしてこれは学連のみならず、主務副務・渉外・アナリスト・トレーナー・中等部コーチ、あるいは私から申し上げるのは僭越ですが監督・コーチを含めた三田バレーボールクラブの皆様方、そして保護者の方々にも同様に当てはまる、慶應義塾体育会バレーボール部というチームが持っている他に追随を許さない唯一無二の強みではないでしょうか。この発見をもってして、私が学連委員として塾バレー部に対する最大の貢献への回答が定まりました。名実ともに、日本一の学連委員になる。「名」については皆様ご承知いただいている通り、2024年度の全日本大学バレーボール連盟委員長を拝命し、1年間の活動を無事終えれたことで果たせたかと思います。「実」については、まだ分かりませんね。私の背中を見てくれた今の1年生が引退するころ、つまり3年後にどれだけ私の活動がインパクトを与えているか、そしてその先も長く続く学連という組織にどれだけ影響を与えられたかで、判断できればと思っております。ただし取り急ぎ現時点で、納会で申し上げた通り私はこの引退という瞬間を迎えるにあたり、一切の悔いを感じておりません。3年前に軍司さんから受け継いだこの呪いを、自らの力で祓うことができたことがなによりも本当に嬉しく、そして達成感に満ち溢れております。

この辺りで、長々と書き綴った10年間の振り返りは終了させていただき、最後にお世話になった方への感謝を述べさせていただきます。

ますは、三田バレーボールクラブの皆様。
先日の納会ではきちんと言葉にして御礼をお伝えしなかったことを即座に後悔いたしましたが、ここで改めて申し上げます。4年間本当にありがとうございました。私という人間は体育会生としてふさわしくないと、入部を断られてもおかしくないと自覚しておりました。それでも、この歴史ある組織の一員に加わることをお認めくださり、そしてご支援をしていただいたことへの感謝の念は尽きません。

星谷監督
学連委員という部員に対してどの大学よりも頼もしく、心強い監督だと思っております。良いことを良い、悪いことを悪いと評価し、そして導いてくれる指導者が学連にはいません。その中でたった一人孤独で戦おうと挑み、そして折れかけた時に星谷さんの存在がなにより私の救いとなりました。一人の部員として私に対しても等しく指導をくださり、評価し、そして成長を促して頂いたことが私にとって大きな支えでした。本当にありがとうございます。

保護者の皆様
仕事柄、仲間の保護者であると同時に私にとってはお客様でもありました。だからこそ、どんな時でも必ず応援にかけつけてくださる塾バレー部の保護者の皆様への感謝は一入であり、時間が許す限り試合会場ではご挨拶に伺うようにしておりました。本当にありがとうございました。また、やかましさは随一で知られるうちの路子の相手をしていただいたことにつきましても、感謝しております。

両親
10年間、バレーボールをさせてくれてありがとう。情けない姿・言動を何度も見せましたが、それでもどんな時でも応援してくれてありがとう。ここでは伝えきれない恩を、人生をかけて返していきます。

後輩
中等部から、塾高から、大学から。それぞれ時間の長さは違えど、本当にお世話になりました。ほとんど練習に顔を出さず、何をしているのかもよくわからない小太りの先輩に対して、これ以上ないほどみんが慕ってくれたことが本当に嬉しかったです。ありがとうございました。慶應バレー部は日本一であるべきだと、私は強く願っています。スタッフも含め。模索の日々は苦しいと思いますが、応援しています。

かれん(佐藤・商2)美里(田渕・法1)
2人は嘘だと言うかもしれないけど、軍司さんが引退をして慶應の学連が一人きりになって本当に寂しかったし、だからこそこんなに素敵な後輩2人に恵まれて活動できたここ数年はとても幸せでした。「2人に情けない姿を見せない」という責任が私に何度も発破をかけてくれたし、2人から学ぶこともたくさんありました。正直、私より断然優秀です。慶應の学連であることの自覚と責任、そして努力をすれば大きな力を発揮できるという自信を忘れないでいてください。また、ご飯行こうね。

同期
一人称は俺で失礼します。
俺のことを仲間として受け入れてくれて、本当にありがとう。俺が体育会に所属する理由は、同期のみんなに恩返しをするというただ1点に尽きないし、正直最初の1,2年は目を見て話せなかったです。でも、少しずつ失った信頼を取り戻している実感があって、最後には一緒に引退を迎えさせてもらえたということだけで、俺の4年間には意義がありました。普段練習に顔を出さないし、意味分からないことばかり言う俺に対しても温かく迎え入れてくれる同期のことが本当に大好きです。リーグやインカレの試合会場で顔を見て、グータッチをしにいくあの瞬間が、なにより好きでした。本当にありがとう。

ここで申し上げきれないほど多くの方にお世話になり、そして支えていただいた10年間でした。お世話になった全ての方へ、心より御礼を申し上げます。これまでに得た多くの方々との出会い、繋がり、そして学びはまさしく私の財産です。本当にありがとうございました。

さて、最後にタイトルについて。
私がよく聞く、とある曲の一番最後の歌詞をご紹介して、この活動日誌を締めくくります。
「今日はめでたし でも明日からまた新しい日が始まる。」
これまでの10年間は、紛うことなきめでたい日々でした。
また、新しい日々をめでたきものと胸を張って言えるように。

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このページをシェアする

当サイトは、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。
推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。
セキュリティを向上させるため、またウェブサイトを快適に閲覧するため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。
このままご覧いただく方は、「閉じる」ボタンをクリックしてください。

閉じる