男子

迷い

総合政策学部卒業生  大槻 晟己

こんにちは。
2年の大槻晟己です。
少しずつ過ごしやすい日も増えてきたこの頃ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。今回はコロナウイルス感染者数が急増している今、私が日々の生活で感じている迷いについて書こうと思います。

現在、日本では新型コロナウイルスの感染者数が1日あたり二万人を超え、多くの塾生が住んでいる東京や神奈川においても数千人の感染者数が出ています。テレビでは外出機会の五割削減など、感染対策の徹底を呼びかける内容のニュースが繰り返し放送され、私もこれまでにない危機感を抱いているところです。

八月中旬の時点でバレー部部員のほとんどは2度目のワクチン接種を終え、また消毒などの感染対策をしながら練習を行なっています。しかし『緊急事態宣言中』、ましてや現在のように誰が見ても感染爆発に歯止めを効かせられていない状況で、体育会活動を継続しても良いのか、という迷いが私の頭の中でぐるぐる回っているのです。

新型コロナウイルス、この正体はまだまだ解き明かされておらず、根本的な治療手段は発見されていません。つまり、健康体である私たち大学生であっても、感染し、運が悪ければ命を落とす恐れがあるということです。この事実が私に、迷いの原因になっている大きな問いをもたらしています。

「万が一、体育会活動によるコロナ感染によって自分、もしくは周りの人が命を落としてしまうことになった場合、自分は体育会活動をしていたことを後悔しないか。」という問いです。これは体育会活動に限った話ではなく、買い物、ジムに行っての筋トレなど挙げればキリがありません。

上記の問いは極端な言い方をすれば、「その行動に命を賭けられるか。」ということなのかもしれません。この問いが浮かんだあと、日々の生活を振り返ったとき、自分の中に焦りが生まれました。「そういえばあの時、一瞬手を抜いてしまった。」「あの日は不完全燃焼なまま練習を終えてしまった。」振り返ってみると、自分にとって、命を賭けても良いと思えた日はこれまでに指をおるほどしかありませんでした。みなさまはどうでしょうか?この機会に少し考えてみてください。

ではどうすれば良いのか、ということですが私は「今日の練習を自分の人生にとって命を賭けられるほど価値の高いものにする。」という答えしか、今は出せませんでした。そもそも命を賭けても良いことなんてこの世にほとんど無いはずで、上の問い自体が無謀なものだったのかもしれません。しかし、「万が一、体育会活動によるコロナ感染によって自分、もしくは周りの人が命を落としてしまうことになった場合、自分は体育会活動をしていたことを後悔しないか。」というこの問いについては、コロナ禍の中を生きる私たちは常に心に刻んでおく必要があるのでは無いかと考えています。

現在たくさんの人がコロナウイルスによって生活を制限される状況が続いています。たまには友達と遊びに行きたい、飲み会したい、そうした気持ちもよくわかります。しかし、命が賭かっている行動として適切か、という判断基準だけは失わず、頑張って乗り切っていきましょう。

自分にとっても難しい内容であったため、拙い文章になってしまいましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。みなさまもお身体、体調には充分ご注意ください。

このページをシェアする

当サイトは、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。
推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。
セキュリティを向上させるため、またウェブサイトを快適に閲覧するため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。
このままご覧いただく方は、「閉じる」ボタンをクリックしてください。

閉じる