男子

私が嫉妬する世界

商学部3年  平山 一之心

お世話になっております。
商学部3年の平山です。

秋の訪れを感じ、ワイシャツに袖を通す時期となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の話は少し長く、また結論のない話ですが興味がある方は是非ご一読ください。

最近、私は専ら「芸術」に関心を抱いています。というのも、最近『ブルーピリオド』というアニメを見始め、芸術や人の感性について深く考える事が多くあります。簡単に説明しますと『ブルーピリオド』とは、ある高校生が東京藝術大学への受験に挑戦する姿を描いたアニメです。奇しくも私の姉も東京藝術大学大学院を卒業しており、姉が歩んだ道のりはどのようなものなのか知りたくなり『ブルーピリオド』を見始め、これを機に芸術というものに関心を抱き始めました。

まず東京藝術大学へ関心を持ちました。なんといっても「天才達の坐すところ」と揶揄される大学ですから、そこへはどのような学生がいてどのような感性を表現しているのか興味が湧きました。そこで興味に従うまま、自身2度目となる東京藝術大学の卒業制作展へ足を運びました。するとそこには、私の感性では到底表現できない作品達に圧倒され、まさに「天才」の一言に尽きるものばかりでした。特に印象に残っている作品は資延美葵氏の『音をなぞる』という作品です。これは資延氏が聞こえた音を形にする、という作品でした。私には音を描くという発想は持ち合わせていなかった為、とても刺激を受け強く惹かれた作品でした。これは一例に過ぎませんが、自身の感性を思うがままに表現している作品に多く出会い、ひとつの芸術の面白さに気づきました。

それは、「芸術は自己表現の最高峰であり、とてもわがままだ」という事です。例えば芸大受験なら与えられたテーマの中で自分の感性、感覚、考え、言葉など全てをまとめてひとつの作品を作り上げます。そこに合否という基準があるため、合格基準を満たさない作品は評価されませんが、そこにも人一人の全ての自己表現が詰まっているのです。また芸術家においては、決して誰かに評価されたいわけではなくただ純粋に自身を表現しており、型にハマる事はありません。にも関わらず作品として自分を残す、という部分に私はわがままさを感じます。そしてこれはスポーツとは大きく異なると感じています。

バレーボール及びスポーツは、良質な技術が担保された上で型を崩す事は許容されていると考えています。その技術を会得するまでは大多数の選手が似たような道を辿り、完成系おいても細かい部分に一人ひとりの特徴があると言えど、ほとんど同じような型にハマってしまいます。
しかし芸術は別です。決まった型などなく、ただ自分の思うままに自己を表現する世界であり、それが許される世界です。私はそんな世界を羨ましく感じます。小学生の時からずっとチームスポーツに打ち込み、個人スポーツはおろか芸術なんて触れる事もありませんでした。ある程度の横線一緒のスキルや能力が求められるスポーツは、言わば作り物の自分が出来上がるわけですが、素の自分を表現しそれを武器に生きていける世界に少し嫉妬します。

私が芸術に対して抱く気持ちを上手く言語化できたかどうかわかりませんが、どこかへ放出したく、今回共有させていただきました。結論も何もなく、拙い文章になってしまい大変恐縮です。
しかしながら、私が芸術に対して抱いているこの感情を大切にし、これを機に色々な世界へ触れてみたいと強く感じました。皆様の好きな画家や芸術家の話も是非お聞かせください。

乱文失礼致しました。

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