男子

原動力

文学部3年  山木 柊

日頃よりお世話になっております。
文学部3年の山木柊と申します。

初秋の時季となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
先月は、留学へ行く多くの高校同期を見送り、新たな挑戦をする友達や多種多様なステージで活躍する同級生たちを見てたくさんの刺激を受ける1ヶ月となりました。
私も一体育会生として、日々挑戦を積み重ねていく所存でございます。

さて、私は今年から副務を拝命し、大学生活、選手、部の運営と様々な挑戦をしてきました。
今回の活動日誌では、そんな私の日々の挑戦の原動力についてお話しできればと思います。普段はこのような話をするのは押し付けがましくて恥ずかしいのですが、活動日誌に書くくらいならいいかなと思い、この場を借りることにしました。

まず大前提として、私は自分が世界で一番恵まれた人間だと思っています。安心して暮らせる場所に生まれ、生まれてから不自由のない選択をしてきて、良い教育を受けることができ、良い環境に囲まれ、暖かい家族のサポートのもとで今もこうして自分のやりたいことができています。自分が目指すもののために努力を重ねることができるのも自分が恵まれているおかげです。

だからこそ私は、環境に安住して怠慢な日々を過ごすことはありません。正直この環境に身を置いていれば、そしてこれまでの積み重ねがあれば、怠惰な大学生活を送ったとしても人生を失敗することはないでしょう。楽をする方法はいくらでもあります。
しかし、それでは今まで環境のおかげで手にしてきたものを自分が浪費するばかりで何も生まれることはありません。私のような恵まれた人間が努力をしなければ、恵まれた意味がないのです。私にはこれまで受けてきた恩恵に対して果たすべき責任があると思っています。

高校3年生の時の担任の先生が私に大事な言葉を教えてくれました。
”noblesse oblige”
この言葉は、高貴な人には高貴な人の責任があるという道徳観を指しています。この言葉のおかげで、自分が恵まれた人間だとようやく自覚することができ、自分の責任は何かと考えることができました。
私は今でもこの言葉を原動力に、日々を送っています。

自分が恵まれていると考えることは、傲慢でも何でもありません。むしろ恵まれた人間は、自分が恵まれているとしっかりと自覚するべきだと思っています。
自分が受けた恩、権利、自由は何か。それに対して自分がどう責任を果たすのか。これが私の存在意義です。

慶應義塾の目的に「気品の泉源、智徳の模範(・・・)以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」とあります。
私が、責任を果たすことができたとき、全社会の先導者になることができると本気で思っています。そして、それぞれルーツは違いますが、少なくとも今は同じ環境で過ごしている、恵まれた塾生の皆様もなれると信じています。

乱文失礼いたしました。

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