日頃よりお世話になっております。
商学部3年の平山です。
どういうわけか、私は毎年この時期に活動日誌を書く事が多いです。この時期というのは、本格的な夏開始のタイミング及び前半学期の期末試験です。昨年の私も冒頭にて夏開始を告げるとともに試験の振り返りもしていたように記憶しております。今回はその「試験」にまつわる話をさせていただきます。
今回のテーマは「学びに対するプライド」です。
これは私が大学2年次に、ドイツ語の授業を受講している際に当時の教授から言われた言葉です。この言葉が出た経緯を簡単に話しますと、その授業は膨大な量の予習を必要とする授業でした。(同期は私がこのドイツ語に毎日苦しめられていた事を知っていると思います笑)当然授業内容も難しく、予習にかかる時間も1時間2時間で終わるものではありませんでした。そんな中、1人のクラスメイトがその日の予習をサボり授業に出席していました。その生徒が発言を求められ答えられずにいると(授業では1人1回以上必ず発言する必要があると)、サボりを見抜いた教授はこう言いました。
「大変な事を要求しているのは承知している。予習にかかる時間も並大抵ではないだろう。その工程を受け身でやるな。半ば強制の予習に意図を読み取り、能動的に動け。さらに、君たちは慶應義塾生だ。この先の日本、ひいては世界の先導者たる君たちは学びに対するプライドを持て。」と。
私が好きそうな言葉だな〜と思った方も多いと思います。まさに、私の大好きな言葉の詰め合わせのようなスピーチでした。この中で指針にすべき事が2つあります。
一つ目は「受動的ではなく能動的」です。これを実行するためには目的意識を持たなくてはなりません。
ドイツ語の授業に落とし込むならば、予習に意欲的に取り組んで単語を一つでも覚える。バレーに落とし込むならば、この練習の意図を自分で汲み取りスキルアップの踏み台にする。こういったように目的意識を持って能動的に行動すると、自己成長に繋がります。練習に対して「これってなんの意味があるんだろう」と思っている人は、その練習の中で得られる要素を分解して、その練習の中で何を上達させるのかという強いイメージを持って取り組む事をおすすめします。
二つ目は「学びに対するプライド」です。皆さん、学ぶことに対してプライドを持っていますか。多くの人は、学んだことに対してのプライドは持っていると思います。慶應義塾に入塾した学生を例に挙げるならば、その過程で得たさまざまな教科の知見や能力に対してはプライドを持っていることでしょう。しかしそのプライドが高ければ高いほど、新しい事を学ぶ障壁が高いように感じます。それは実にもったいない事です。
私は人生は学びの連続だと考えています。その人生においては新しい情報・知識を学び、その時代の流れに相応しい行動様式が求められます。そのためには貪欲に学び続ける事が必要不可欠です。さらに我々は若者という意味でも慶應義塾生という意味でも世界の先導者です。我々がこの先VUCAと呼ばれる時代を生き抜くためには、さまざまな知識を学び学問を越境しあらゆる問題を乗り越えなければなりません。そこに必要なことこそが「学びに対するプライド」だと、私は思います。
以上長々と述べましたが、この言葉を聞いた瞬間私の中に大きな衝撃が走ったので共有させていただきました。少しでも多くの方の心に響けば幸いです。
伝えたい事が多過ぎて、拙い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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