皆様、新年明けましておめでとうございます。
今年度の副将を拝命いたしました、法学部法律学科3年の田鹿 陽大です。
人生初の幹部。大変光栄であるとともに、至らない点が数多くあると思いますので、これからもご指導のほどよろしくお願いいたします。
また、昨年度は多大なるご支援、ご声援を賜り、誠にありがとうございました。今年度も皆様のご期待に応えられるよう、慶應義塾の伝統と革新のバレーボールを体現し、少しでも皆様に元気や感動を与えられるよう努めていく所存です。引き続き応援のほどよろしくお願いいたします。
さて、いきなり「副将の田鹿です」と言われても誰やねんと、そう仰る方がほとんどだと思います。私の「使命」をお話しする前に簡単に自己紹介がてら、この場をお借りして私のバレー人生を振り返らせていただきます。
改めまして、田鹿陽大(タジカヒナタ)と申します。幼稚舎から慶應の門をたたき、大学3年生の今まで、15年間慶應に在塾しております。現在は、慶應義塾大学のアナリストとしてチームに貢献しております。
私がバレーボールを始めたのは中学1年生の頃、幼稚舎から行っていた剣道部に入ろうと考えていた私に「楽しいよ」と先輩が誘ってくださり、あっけなく、そしてなんとなく私の競技人生が始まりました。しかし、蓋を開けてみれば楽しいのは3割ほど、学内屈指のエグ部活。暇さえあればワンマン、走り込みをするような根性部活でした。
けれどいつの間にか、バレーボールという1つの球を落とすまいと6人が1つになるこのスポーツの虜になっており、高校でもバレーボールを続けたいと考え入部を決意しました。170センチという身長は高校レベルでは通用しないと考えていた私は、入部初日の自己紹介で「リベロになりに来ました。」とはっきり言ったのを今でも覚えています。全国レベルの先輩・同期・後輩に恵まれ、インターハイや春高を経験させていただき、プレーヤーとして大きく成長することが出来ました。それでも、スタメンとして公式戦でチームに貢献したのは片手で数えることが出来る程度。活動のほとんどはチームのサポートをするポジションでした。
高校卒業後はプレーヤーとして競技を続けるかとても迷っていました。そんな私に濱本先輩(2022卒)がお声がけしてくださり、大学では選手と対等に語り合い、そして競技に同じ熱量で向き合うことのできるアナリストが私にとって天職であると考え、体育会の門を叩いたという次第です。
そんな私がもつ使命とは「当たり前を超える」ことだと考えています。
この3年間でリーグの昇格と降格を経験し、「慶應は弱い」や「大柄な選手が打っているだけ」などの意見を多々耳にいたしました。その中にあるはずの選手・監督・スタッフの苦難や葛藤を見ず、勝敗という形だけで世の中は評価をする。私は何よりもそれが悔しくて、何も貢献できない自分自身を恥じ、涙を流しました。コロナ渦を越え、練習ができる当たり前の環境に感謝する事。何も成し遂げていない平凡な私、一スタッフだった私が副将としてチームを支える事。慶應は勝てない、ただの古豪だといわれても関東一部に在籍する事。日本一を達成する事。これらの「当たり前」と呼ばれる様々な事柄を超え、歴史を塗り替えていく。これこそが私に課せられた使命であると考えております。
スケールの大きな話をいたしましたが、上記の当たり前のことを超えるためには、地に足をつけ“誰でもできることを誰よりもやる必要がある”と考えています。私自身、そしてチーム全体にその考えを浸透させることで、一つでも多く相手を、そして昨日の自分たちを“超えられる”ように努めていく所存です。
末筆ではございますが、我々が日々活動を続けられているのは、三田バレーボールの皆様をはじめとした監督・コーチ、保護者の皆様、ファンの皆様のおかげでございます。本年度も皆様に感動と興奮を与え、その慶に應えられますよう、精進してまいりたい所存です。
以上をもって、私の新年のご挨拶とさせていただきます。
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