【活動日誌】私のバレー人生(文4・軍司歩人)

皆様こんにちは。
学連委員を務めさせていただきました文学部4年の軍司歩人です。今年も残りわずかとなりました。最近は本格的な冬の訪れを感じる寒さとなっております。皆様引き続き体調にはお気をつけてお過ごしください。

さて、この度私ども4年生は先日の納会を持ちまして正式に慶應バレー部を引退いたしました。思えばこの4年間、本当にたくさんの方々に支えていただきました。お世話になった全ての方にこの場をお借りして感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
早いことに入部から本日に至るまで10回担当させていただいた活動日誌も今回が最後になります。今回はこれまでの4年間を振り返って、今思うことを綴らせていただきたいと思います。

私は同期より半年ほど遅れた11月中旬に松川(経4)の誘いを受けて学連委員として入部をさせていただきました。しかし大学入学当初、高校時代に怪我で満足にプレーをすることが叶わなかった私にとって、大学でバレーを本格的に続けることなどまず選択肢にありませんでした。ましてや当時も慶応は1部に所属をしており、とても私なんぞが踏み込むような場所ではないとも感じておりました。慶応に進学を決めたのもバレーがしたいという思いからではなく、周りを見返したいという一心。今振り返ると、当時の私は正直大学に入学したことが一つ私の中でのゴールになってしまっており、中身が空っぽだったと思います。
しかし、大学生活が半年ほど経過したころ、特にこれと言って何も打ち込まずにただ勉学に励む日々にどこか虚無感を感じるようになりました。これまで自分の生活の中心にあったバレーボールという軸が私の中で大きな存在であったと改めて感じさせられると同時に、このままバレーボール人生を終えてしまうのは恩師や両親、何より自分自身に対して胸を張れないという気がしました。そんな中で受けた話に、不安がなかったかというと嘘になりますが、私は迷うことがなかったように思います。宗雲前総監督と山田元主務(R2卒)に松川とふたりで蝮谷体育館まで面談をしに行った日を今でも鮮明に覚えております。かくして何かの縁に導かれて私は慶應バレー部に入部することができました。

それからの3年間は本当にあっという間でした。特に私の主な活動場所であった学連という場での生活は私にとって「他人のために」ということを学ばせてくれたと感じております。これまでの部活を含めた全ての活動は「自分のためのもの」でしかありませんでした。しかし、学連としての活動は自分達にスポットライトが当たることはありません。自分ではなく何よりも選手たち、観客の方々のために活動する日々です。簡単なことのようですが、なかなか普通の大学生活ではこのような経験は積めるものではないと思います。
私は学連という場でしたが、私に限らず慶應バレー部には全ての部員に役割があり、全ての部員に活動の場所があります。これは私が思う慶應バレー部の1番の良さであり強みです。スタッフはもちろん、試合に出ていない部員がチームの勝利を本気で信じて自分の役割を全うする慶應の雰囲気はどこにも負けないと感じます。一方で納会でもお話しさせていただいた通り、私は学連委員として活動してきた関係でチームに対して目に見える形で貢献をすることができなかったことが悔やまれます。しかしそんな私に対しても部員はとても暖かく、たまに練習に顔を出した時には私を迎え入れてくれました。あまり周りに伝えることはありませんでしたが、リーグ戦などでチームに会うのが楽しみでした。

加藤(商4)の活動日誌の中にもありましたが、自分のバレー人生が思い描いていたようなものだったかと聞かれると、私も決してそうではないと答えると思います。むしろ大学入学時点では、正直私はバレーが好きではありませんでした。それでも今振り返るといつでも私は人には恵まれている自負があります。同期はキャラクターが濃すぎて初めはついていけませんでしたが、バレーに対する姿勢は素直に尊敬できる人ばかりです。また、年下とは思えないほどに自分達で考えて率先して行動ができる後輩たち。山本(文1)には安心して学連の後継を任せることができます。そして自分達の活動を陰ながら支えてくれる星谷監督をはじめとしたOB・OGの方々もいらっしゃいます。多くの人との繋がりは私にとってかけがえのない財産です。今では間違いなく慶應バレー部の門を叩いて良かったと、慶應のバレー部の一員であることに胸を張ることができます。本当にありがとうございました。