男子

塾バレー部初!親子三代のバレーボール部員

経済学部卒業生  厳 欣怡

日頃よりお世話になっております。
渉外主務を務めております、経済学部3年の厳欣怡です。

秋風が心地よいこの頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。
塾バレー部は先週末に秋季リーグ初戦を迎え、ここまで二連勝中。春の雪辱を晴らすべく、残りの試合も部員一同一戦一戦集中して臨む所存です。

さて、今回は表題にもあります通り、慶應義塾体育会バレーボール部初の親子三代のバレーボール部員についてご紹介させていただきます。

実は、今年4月に入部してくれた久保田健介(商1)のお父様である久保田康史先輩(1999年卒)と、ご祖父様の久保田邦宏先輩(1962年卒、元監督)は塾バレー部出身で、親子三代がバレーボール部員なのは創部以来初とのことです。


(左から)久保田邦宏先輩・健介・康史先輩

そこで、御三方に塾バレー部に関する質問に答えていただきました!

●久保田邦宏先輩(1962年卒、元監督)
Q:塾バレー部の思い出は?
A:私が木村監督の後を継いで正式に塾の監督に就いたのは昭和42年の秋のことでした。当時、塾は関東リーグの2部にいました。(一部6校制の時代の2部ですから、一部12校制の現在に置き換えれば1部です)

秋季2部リーグで優勝し、一部6位の明治大学との入替戦が11月29日に行われました。

この年、塾は全日本インカレで3位に入ったことで全日本総合への出場権を得ていました。11月23日から広島で始まった全日本では予選リーグで専売広島(今のJT)に敗れたものの、3回戦で強豪住友金属を破り、準々決勝では大古のいた日本鋼管から1セットを取る大健闘を戦い、意気揚々と入替戦に臨んだのでした。

25日に全日本を終えたチームは29日に入替戦で明治と対戦したのです。明治大学とは春のリーグで2度対戦し、2敗はしていたものの、インカレで関大、関学、早稲田を破り3位となった塾は明治には勝てると過信してしまったことが第一の敗因でした。そして、広島から帰って中3日後の入替戦に臨むにあたり、帰京時の列車手配で寝台車を選ばなかったことが最大の敗因だったと反省している次第です。入替戦そのものはフルセットの熱戦であったことは記憶していますが、試合の細かい点は記憶も薄れています。ただ、今も鮮明に残っているのは先輩からの広島遠征への𠮟責でした。この敗戦についてはOBの郷輝久君(当時、1年生でセッター)が「天皇杯出場は辞退すべきであった」と部の50年誌にはっきり書いてくれています。(50年誌、215ページ)

●久保田康史先輩(1999年卒)
Q:現役時代の一番の思い出は?
A:・入替戦(1年時の5部→6部、4年時の4部→3部)
・初めてスパイカーとしてリーグ戦途中出場した際の緊張感(一発目スパイクを綺麗に打ち込んだのにタッチネット)

●久保田健介(商1)
Q:4年間の意気込みをお願いします!
A:日本一のセッターになります。

私自身改めて塾バレー部の歴史の長さを感じたとともに、先輩方が築いてきてくださったこの部活をより良いかたちで、後輩たちにしっかりと引き継いでいかなければならないなと思いました。

塾バレー部は現在2部リーグの舞台で戦っております。春の悔しさを胸に、必ず1部復帰を果たすべく部員一同全身全霊で戦ってまいりますので、今後ともご支援ご声援のほどよろしくお願い申し上げます。

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