【Coaches’ Board】4年生へ

先日、2019年の納会が行われました。和田部長をはじめ多くの先輩方にご出席頂き1年間頑張ってきた全ての部員の慰労と新役員の発表があり、その後は懇親会において和やかな雰囲気の下、今年を振り返ったり新チームへの話題であったりとあっと言う間に時間が過ぎて行きました。

今年は春に2部降格し、1部復帰も叶わず学生たちに失望感を味合わせてしまい残念な事ばかりでしたが、怪我人だらけで始まった異例の秋季リーグ戦以降、負けてもおかしくない状況からリザーブ選手の大活躍で逆転勝ちした国士館大学戦、徳俵から跳ね返したインカレ初戦と少しずつ、少しずつ纏まって行きました。目標達成とは行かなかったので偉そうな事は書けませんが雨降って地固まると考えましょう。

さて、頑張ってくれた4年生へ最後のひと言。(第1弾)

「あの子は優しすぎる」と当時高校生だったマルキ前主将の周囲の評価。しかし私が4年間一緒に過ごして来て感じたのは、熱い闘志を内に秘め黙々と取り組む「自分に厳しい」とても「誠実」な青年であると思います。1年前、主将に任命されて先日のインカレで負けるまでバレーボール部の事が1日たりとも頭から離れず試行錯誤していたと思います。他大学から好条件での勧誘も断わり、リスクを背負って慶応を受験してくれ(背中を押して頂いた成原先生、有難うございました。)選手層では決して恵まれた環境に無い中で良く踏ん張ってくれました。慶応義塾体育会の主将として歯を食いしばって務めた事を誇りに次のステージでも活躍することを期待しています。

「普通部ラグビー部に190cmがいます。」(慶応普通部=男子校中学)との情報を当時の部員から聞き、早速自宅へ電話し「塾高ではバレーボールを!」と勧誘し7年が過ぎました。決してバレーボールは上手い方ではなかったけれど、持てるものは全てを出し尽くしてくれ、来る日も来る日もチームのためにボールを打ち続け、疲労骨折までしてしまいました。そんな大凱には感謝しかありません。慶応幼稚舎出身の選手が、まさか関東1部リーグや早慶戦でエースとして打ちまくる日が来るとは誰が予想したでしょうか。納会の日に、全てのストレスから解放された笑顔が印象的でした。卒業後はエンタメ業界にお世話になるそうですが、以外とフィットするのではないかと思います。有難う。大凱。

木更津で開催された千葉県大会を観戦に行った際、慶応の良き応援者でありファミリーでもある成田高校の川下先生から「ウチに真面目で勉強出来る子が居ます」と紹介されたのが「ミスター愚直」の片波見。その後、成田山新勝寺の参道を下り、お隣の成田高校を訪問した時も顔に「真面目」と書いて出迎えてくれました。バレーボールのキャリアはそれほどありませんでしたが、そこは「愚直」と「真面目」で一日も手を抜く事なく練習に取り組んでいました。(誰もが、疲労等で気持ちが入りづらい日があると思いますが、片波見には一切見られませんでした)4年間、スタメンで起用される事は少なかったですが、バックアップミドルとして、時にはピンチサーバーとしてコートに立ってくれました。今年は不運な怪我にも見舞われましたが、春季リーグの順大戦で応援に駆け付けてくれた成田高校バレーボール部の恩師、川下先生、後輩達の目の前で見事サービスエースを取れたのは、彼の努力を見ていた神様からの細やかなご褒美かもしれません。卒業後は教員を目指すそうですが、良い事も悔しい事も経験した片波見ですから間違い無く素晴らしい先生になると思います。近い将来、片波見の教え子が慶応の門を叩いてくれる事を夢見ています。

彼を初めて見た試合は、中学の関東大会。確か浦安市民体育館。この大会でベスト8に進出しないと全国大会には出場出来ません。その大事な試合で敗退し号泣。あれから7年の歳月が経ちました。塾高では主将として牽引し、大学では陽の当たる場所には、ほんの一瞬しか立てなかったけれど、腐らず最後の最後までチームを応援し続けた4年生。小学生バレーボール教室では持てる能力を存分に発揮し子どもたちの笑顔を引き出し、時にチームのBBQ大会を主催し学年の壁を取っ払うきっかけを作ってくれた4年生。なんとか、なんでも良いからチームの為に!と、頑張ってくれた貴重な部員の本多。卒業後は「鉄の根性」を信念とし持ち前の行動力で活躍して欲しい。

彼が持っているチーム1の能力はどんな強打でもボールから逃げないディグ力。例え至近距離から顔にボールが向かって来ても逃げない。避けない。だからピンチサーバーで起用する時は「サーブよりも、とにかく体のどこにでも良いから当てて1本上げて来い!」のみの指示。もちろん、そんな奇跡の様な事は年に何回もあるわけでは無かったのですが2年生の頃は本人も(私も)それを信じてコートに入り体を張った幾度かのスーパーディグを見せてくれました。このやり取りは本人にしか分かりません。本人が心の中で誇りに思って良い事です。そんな浦部も3年生になりBチームのまとめ役となり、悩みながら考えながらBチームのモチベーションを上げようと試行錯誤の日々。「他人のために体育館に来て、他人のモチベーションを上げる」仕事は自分のモチベーションを考えても大変だったと思います。そして4年生となり、ほぼベンチ入りも無い中でチームは急降下。それでも黙々と「他人のために」ボール打ちの毎日。悶々とする日を送ったのではと思います。卒業後は上下左右、視野の広い人となって多くの人を思いやる人物になる事でしょう。

バレーボールの名門、習志野高校から2人目の慶大バレーボール部員となった五味渕。ポジションはオポジット。そう。同期に左のエース富澤が君臨。2つ下には加藤靖丈が入部。熾烈なポジション争いの中で、ディグの良さを買われて富澤の後衛3ヶ所を任される時もありました。しかし、浦部同様に上級生になる頃には練習試合での出場機会も徐々に減り自然とサポートの役目が多くなりました。前述のように、バレーボールの名門習志野高校でエースとして活躍していたわけですから、その悔しさたるものは相当なものだったと思います。もちろんどの様なキャリアがあろうとも全員が舞台の上でスポットライトを浴びる事は出来ないので同好会的な起用は出来ません。(決して同好会を否定しているわけではありません。スポーツの楽しみ方はそれぞれあって良いと思います。) しかし、慶応の部員でそこからフェードアウトしていく部員はおらず、いつか心に踏ん切りをつけ「何が出来るか」を考え出します。大半の部員は高校時代にレギュラーとして頑張って来たので、何をして良いか?何が出来るか?は遠慮がちになります。レギュラーに声を掛けるのもきっと勇気が必要だったでしょう。私個人としては最後の花道であった全早慶明定期戦で本来のスパイクサーブでは無くフローターサーブを打ってネットにかけたことが悔やまれます。しかし、もう済んだこと。卒業後は予想外にも銀行員になるようです。地元千葉県で活躍を!